日産トップガンが語る GT-Rの真実(2)第2世代の進化〜R32からR33、そしてR34へ

ーーR32 GT-Rの成功を受けて、今度は後継モデルであるR33 GT-Rのテストが本格的に始まるわけですが、その時のテストカーは、R32に偽装を施した試作車だったのでしょうか?

加藤:R33 GT-Rは、R32に比べてホイールベースが100mm伸びていました。実は、私は今でもR33の4ドアGT-Rに乗っているのですが、室内が広くていいクルマだと思います。でも、車重やホイールベースといったスペックだけを見ると、運動性能はR32と比べると、落ちていると思われがちなんですよね。

1993年の東京モーターショーで、R33の開発責任者だった渡邉衡三(※1)さんが「次期型でもGT-Rを作ります!」といって、試作モデルを発表しました。そうしたら、そのスタイルがカッコ悪いと、かなり批判を受けました(苦笑)。実際に発売されたクルマは、フロントマスクなど細部のデザインが、かなり違うクルマになりましたけどね。

※1/渡邉衡三(わたなべ・こうぞう) 1942年、大阪府生まれ。東京大学 工学部 修士課程終了後、1967年に日産自動車へ入社。「スカイライン」、レース車両のシャーシ設計などを経て、本社開発本部へと異動。後に、車両実験部に配属となり、R32の実験主任を担当。その後、R33、R34スカイラインの開発責任者を務める。1999年に取締役としてニスモへと出向。2006年に引退

そのモーターショーで発表した試作車を、我々はニュルへ持って行ったんですよ。正直いうと、最初は自分も「カッコ悪いクルマだな…」って思いながら、ドライブしていましたね(苦笑)。

ーー松本さんも、その時のニュルテストには参加されたのですか?

松本:私はGT-Rの開発において、なぜかR33にだけは全く関わっていないんです。その当時は“競争力分析”という業務に就いていて、「プレジデント」から「マーチ」まで、すべての車種を見ていた時期でした。

総合評価を行う仕事で「クルマを広く、すべてを見ろ」という仕事でした。なので、自社、他社を問わず、競争力のあるクルマ、評判のいいクルマをピックアップし「なぜその車種が売れるのか?」を分析していました。

まずは実際に自分で走り、官能評価で点数をつけ、なぜ売れるのかを見つけ出すという仕事ですね。テストドライバーの仕事というのは、走ることだけでなく、そういった分析の仕事というのも結構あるんですよ。

ーーなるほど。本当に当時は、GT-Rとは無縁の状態だったんですね?

松本:いえ。ところがそうでもなかったんですよ(苦笑)。当時、加藤といっしょに“あること”をしていたんです。

実は1990年から足掛け2年半、加藤やほかのふたりのメンバーと組んで、R32 GT-Rでレースに参戦していました。筑波サーキットの9時間耐久レースとか、菅生サーキットでの300km耐久レースとか、結構な頻度でサーキットをGT-Rで走っていたんです。

加藤:ただし、当社の規定で、日産自動車のテストドライバーとしてレースに出ることは許されていなかったので、あくまで個人活動、プライベーターとしての参戦でした。

入社前からレース好きだった松本は、自分でクルマを購入し、プライベートでラリーを続けていました。なのでその時も「松本のように、あくまでプライベートの時間としてであれば参戦してもいい」といわれていました。でも、経済的には厳しいでしょ? そんな時、当時の開発責任者だった衡三さんが各方面に交渉してくれて、日産ワークスではなく“社内のクラブ活動”という名目で、さまざまなサポートをしてくれたんです。

ーーそれは、クルマのテストも兼ねていたのですか?

加藤:どうでしょうね(笑)。でも長い目で見ると、結果として私と松本のふたりは、今もGT-Rの開発ドライバーとして残っています。そういえば、つい最近まで、かつていっしょにレースを戦ったもうひとりのドライバーも、GT-Rの開発に関わっていました。衡三さんは、そうした先々のことまで考えていたのかもしれませんね。

ーーそのレース活動で得たことが、車両開発にフィードバックされたり、自分たちのテクニックを磨く上でプラスになったりしたことはありますか?

加藤:私はレースで、スタートドライバーを務めることができなかったんです(苦笑)。テストドライバーは、すべて秩序ある中で走っています。試験車、試作車は壊したら終わり。ですから、クルマの方が壊れない限り、テストドライバーが壊してはいけないんですね。でもレースだと、スタート直後の1コーナーに、数十台のマシンが一斉に入っていく。当然、ぶつかってしまうこともあるわけです。我々テストドライバーには、クルマをぶつけるという感覚や習慣がないので、私は思わず道を譲ってしまう。そうなると、競争にならないんですよ。だからスタートドライバーは、いつも場慣れしている松本でした(苦笑)。

でも、レースに出ることによって「レーサーたちはココまで攻め込むのか!」といったことを勉強できました。相手の動きを見切るというか、間合いを計るというか、そういうことを学びましたね。例えば、筑波サーキットのヘアピンに入る時は、バックミラーを見て、後ろのドライバーと目を合わせる。そういった、あうんの呼吸が分かるまで、1年かかりました。

レースって、無秩序の中で戦っているように見えて、実際は、そういった秩序があるのです。けれど我々テストドライバーは、テストコースのように管理されているところで育っていますし、ニュルへ訓練に行っても「速いクルマが後ろから迫ってきたら道を譲りなさい」という教育を受けているわけです。

でも海外でのテストだと、そんなことはお構いなし、というケースも多々あります。テストコースとレースの双方を経験した人間でなければ、海外メーカーのテストドライバーと同じコースでは走れない、と思いましたね。

それと、悪条件下で走る術はレースから学びました。なので、ドイツのアウトバーンやニュルで天気が悪くなっても、逆に我々は元気がいい。テストコースしか知らない温室育ちのテストドライバーだと、例えば、コースの照明が落ちて暗くなると、急に大人しくなっちゃうんですよ。

ーーレース活動で得たことが、R33やR34の開発に役立ったことってありますか?

加藤:車体の作り方、でしょうか。何しろ、我々がレースに参戦していたマシンは、私と松本のふたりで作ったんですよ。

松本:そうだったね(笑)。

加藤:実験部にあったR32を譲り受けたのですが、元は会社が所有していたクルマでしたから、当然ノーマルです。もちろん、ロールバーは付いていないし、冷却系のパーツもノーマルのまま。

でも、松本はプライベーターとしてラリーやダートトライアルを戦っていたので、クルマを仕立てるノウハウを持っていたんです。そこで、ふたりでGT-Rをバラバラにし、ロールバーを組んだり、松本が配線を勝手に切ってエンジンが掛からなくしちゃったり、本当にいろんな経験をしましたよ(笑)。

ーー松本さんは、ご自分で作られたマシンで競技に出られていたんですよね?

松本:元々、自分でマシンを仕立てて競技に出ることが、好きだったんですよ。そういうことを繰り返していくうちに、例えば、走行中にトラブルが起こっても、自分で組んだクルマであれば、どこが壊れて、何が起こっているかが、分かるようになります。

ーーおふたりが作られたR32 GT-Rのレーシングカーは、具体的にどのような仕様だったのでしょうか?

加藤:我々のマシンは、レーシングドライバー星野一義さんの“片輪走り”で有名な、グループAカテゴリーのマシンをコピーしたものでした。例えばロールバーは、グループAカーの図面を参考にして組みました。

スカイライン GT-R グループA仕様(R32)

我々は、ノーマルのR32 GT-Rには飽きるほど乗っていました。たぶん当時、我々が世界で一番乗っていたと思います。でも、ロールバーを組んだマシンには、全く乗ったことがない。素の状態から自分たちの手で組んだこともあって、両車の違いが明確に分かるわけです。もちろんプロですから、そのフィーリングもしっかり体で覚えています。そうこうしているうちに、R33 GT-Rのテストが始まるのですが、最初の試作車に乗って愕然としました。ボディがまるで“紙でできた箱”のように感じたのです。

我々はレースを通じて、ロールバーによるボディ補強の効果を体感していたので、その差を頭の中で市販車に落とし込めるようになっていました。R33の開発時は、設計陣に“ここを補強した”といわれても、その補強がない状態の挙動を想像できるくらいまでになっていましたし、仮に補強材を取り外した場合でも、R32からどの程度進化しているのか、判断できるようになっていました。

また、どんな補強が必要で、何が不要か、といったことも分かりましたね。一例を挙げれば、R33 GT-Rにはトランクルームに補強用のボードが付いていますが、あれはまさに、レースでの経験から生まれたパーツなんですよ。

ーー例えば、試作車の状態から、テストドライバーの意見で基本設計が覆る、なんてこともあるのでしょうか?

加藤:日産自動車の技術陣は、エンジン、モノコックシャーシ、フロントサスペンション…といった具合に、たくさんの引き出しを持っています。引き出しの中にないものをゼロから作ることは、5年、10年といったスパンでの時間が必要になります。ですから我々テストドライバーは、引き出しの中にあるものや技術を使ってクルマ作りをすることが大前提です。

我々の意見でモノコックから作り直す、といったことはさすがにありませんが、GT-Rは日産車の中で、最も自由に開発できるクルマでしょうね。なぜならGT-Rは、専用部品の開発が許されていますから。

【次ページ】R33 GT-Rが目指したもの〜マイナス21秒ロマン〜

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