日産トップガンが語る GT-Rの真実(2)第2世代の進化〜R32からR33、そしてR34へ

ーーR32 GT-Rは、開発末期のみニュルでテストを行われたとのことでしたが、その後の第2世代GT-Rは、どのようなテストを実施されたのでしょうか?

加藤:個人的には、R33 GT-Rが一番走りこんだクルマだと思います。1988年にR32の試作車で初めてニュルを走った時のタイムは8分30〜40秒くらいでしたが、翌年の発表・試乗会では、8分20秒台までタイムを縮めることができました。元レーシングドライバーの方々が走り込み、最速タイムも彼らがマークしています。

スカイライン GT-R(R33)

現行のR35「GT-R」の考え方にも通じるのですが、当時、R32からR33への進化を速さで示すには、イコールコンディションで、誰でも走れるニュルでのタイムをアピールすることがベストである、との判断が下されたのです。ニュルで並み居る強豪と対峙してタイムを出す、と。ということで、日産自動車のエンジニアがシミュレーションしたところ、8分2秒台までならタイムを縮められる、というのです。なので「ニュルでGT-Rの開発をやらせてくれ」と経営陣に訴えたところ、応えは「ノー」でした。

経営陣からの回答は「8分2秒と7分59秒とでは3秒しか違わないが、お客さまの反応は全く違う。7分59秒台が出せるなら、やってもいい」というものでした。

8分20秒がR32 GT-Rの実力だとすると、21秒も短縮しなければいけないわけです。ニュルのコースは1周20.832km。つまり、1km当たり1秒縮めるという計算ですね。なので本当に、走って走って、を繰り返した日々でした。その結果、R33 GT-Rのキャッチコピーは「マイナス21秒ロマン」になりました(笑)。

ーー進化を重ねたR32、R33、R34という第2世代GT-R。エンジンは全モデルともRB26DETTが搭載されましたが、ボディはそれぞれで設計上の違いがあったのですか?

加藤:先日、モノコックまで分解されたR32を見る機会があったんですが、現代の考え方からいくと、驚くような部分も多々見受けられました。例えば、リアのクォーターウインドウまわりには、パネルに大きな穴が開いているのです。これがR34になると“サービスホール”と呼ばれる、パーツの着脱などに必要な穴しか開いていません。また、R32では室内とトランクの間にも大きな穴が開いていますが、R34ではその穴が補強板で閉じられています。R32の頃は、ボディ作りにおいてまだそういった発想がなかったのでしょうね。R33はその狭間で、構造面においても過渡期といった内容でした。

1990年の後半くらいから、ボディ設計の考え方が変わりつつありましたが、カルロス・ゴーンが社長に就任して以降、ドラスティックに変わりましたね。モノコックの作り方はR34の頃から変わりつつあったのですが、クルマ作りそのものが変わりました。GT-Rではありませんが、V35「スカイライン」では、V6エンジンをフロントの車軸よりも後方に配置するフロントミドシップレイアウトになりましたし、サスペンションからモノコックの作り方まで、ガラリと変わりました。

ーーR34 GT-Rについての思い出はありますか? R33は一部のファンから、ボディが大きくなったことに対して否定的な意見も聞かれましたが、R34では再び、小さくなりましたよね。

松本:R33と比べて、R34はホイールベースを55mm短縮しました。高速走行時の高い安定性は、ホイールベースの長いR33の長所ではありましたが、その分、曲がることについては、ちょっと不得意だったように思います。

R34 GT-Rでは、フロアの下に空力パーツを付けるなど、ニュルでの経験がかなり活かされたと思います。R34は空力のテストもかなり入念にやりました。その辺りは、後にR35 GT-Rの開発責任者になる水野和敏(※2)さんの考えが導入されたこともあったからだと思います。

※2/水野和敏(みずの・かずとし) 1952年、長野県生まれ。1972年、日産自動車に入社。車体設計やパッケージング設計を担当した後、1989年に日産自動車のモータースポーツ活動を担うニスモに出向。耐久レース用マシンの設計や、レースでのチーム監督などを担当。1992年には、デイトナ24時間耐久レースで優勝を飾る。翌1993年に日産自動車へ復帰。V35スカイラインやZ33「フェアレディZ」の車体設計を主導する。2003年、R35 GT-Rの開発責任者に就任。2012年、日産自動車を定年退職

ーーR34 GT-Rで、初めて本格的に空力性能に着目するようになったんですね?

加藤:水野さんは設計の取りまとめ役でしたが、ニスモに出向された際、グループCカテゴリーのレーシングカーを設計されていました。日産自動車に戻られてからは、車両計画という仕事に就かれていたんです。

車両計画とは「この次のクルマをどうするか?」ということを考える仕事ですが、第2世代のGT-RはR32以降、R33もR34もエンジンはRB26DETTで、ずっとキャリーオーバーでした。でも、GT-Rをさらに進化させるためには何か新しいものを導入しなければいけない、ということで、R34ではそれまで以上に、空力性能に着目したのです。日産自動車の社内で“ディフューザー”という言葉を初めて使ったのも、水野さんでしたね。

RB26DETT

ーー空力パーツの有無や形状による差というものは、テストドライバーの方には分かるものですか?

松本:ボディのアンダーディフューザーや、トランクリッド上のウイングも含めて、どのパーツを装着すると、どれくらい空力が効き、どの程度のダウンフォースが得られるか、というテストを、栃木のテストコースを中心に行いました。その時、250km/hくらいまでは試しましたね。

ーーテスト用の空力パーツは、何種類くらい用意されていたのですか?

松本:大きく分けると、フロントとリアのアンダーディフューザー、あとはウイング関連で、それこそ何パターンも試しました。例えば、フロントのリップスポイラーは“1個付けた時はどうなる?”、“違う場所に付けたらどうなる?”、“全部付けたらどうなる?”、“何も付けない場合はどうなる?”といった具合に、パーツごとの寄与率を入念にチェックしました。あとは“前後左右のバランスが良くなるのは、どの組み合わせの時か?”といったこともさんざん試しましたね。

ーー実際に空力パーツをテストされてみて、どのような印象を抱かれましたか?

松本:“安定した走り”と“速さ”は別物である、ということを体感しました。極端なことをいえば、何も付けていない状態が最も最高速は伸びたのです。でもそのクルマは、まっすぐ走りませんでしたけどね。

ーーテストドライバーの視点から見て、重視されたのは安定性ですか? それともスピードですか?

松本:我々はプロなので、どんな状態のクルマでも走れないということはないんです。でも、スタビリティの低いクルマを、日産自動車として世に出すわけにはいかない。ですから、最もバランスのいい組み合わせを探ることになりました。

ーースピードといえば、R34 GT-Rではギヤボックスがゲトラグ社製となり、段数も5速から6速に変わりました。これはどういった理由で選ばれたのでしょうか?

加藤:加速力はもちろん、高速クルージングや燃費を考えると、ギヤの段数は多い方がいい。もちろん、R32やR33よりも速くしたい、という思いもありました。

スペックこそ同じでしたが、R34のパワーは、実際にはR32やR33より出ていましたし、5速だとカバーしきれない速度域も出てきました。また、走行安定性を高めるために空力パーツも装着しました。そのパワーや空力を活かし切るためには、ギヤボックスを含め、トータル性能をアップさせる必要があったのです。ただしその頃、日産自動車の“引き出し”の中には6速ギヤボックスがなかったので、最適なものをゲドラグ社から調達した、というわけです。

【次ページ】第2世代GT-Rの終焉。テストドライバーの仕事は変わったのか?

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