ーー第2世代のGT-Rといえば、やはりニュルでのテストが象徴的でしたが、加藤さんが満足できるレベルで走れるようになったのは、いつ頃からですか?
加藤:1992年3月に、日産自動車も公認している社外の訓練“ウェーバートレーニング”を受けました。これを受けると「インダストリープール(※3)でニュルを走ってもいいですよ」というお墨付きをもらえるんです。そして、1993年8月、初めてR33でニュルを走っています。R33は1995年1月の発表でしたから、その2年前にはニュルでのテストを始めているのですが、R33ではとにかく、ニュルを走りまくりましたね。
自分が一番“好きなようにできた”クルマでしたから、R33には格段の思い入れがあります。今も自分の愛車として乗っているくらいですしね。
※3/インダストリープールニュルブルクリンクにおける、自動車メーカーやタイヤメーカーなどによる連合。コースを占有してテストや車両開発を行う
ーー松本さんは、GT-Rから離れられていた時、それこそ、マーチもプレジデントも見なければならない頃に、R33のニュルでのテストの様子を聞かれて、どのような思いを抱かれていましたか?
松本:正直、ニュルでの話をうらやましく思ったこともありました。でも、当時やっていた競争力分析という仕事が、実は今の商品性実験という仕事のベースになっているところもあるので、それはそれで貴重な経験をさせてもらえたと思っています。振り返れば、810型「ブルーバード」の頃から開発プロジェクトに携わっていたので、そこから一旦離れ、日産自動車の上から下まですべての車種を見る機会を得られたというのは、いい経験だったと思いますね。
ーーいつ頃、GT-Rのプロジェクトに呼び戻されたのですか?
松本:Z34 フェアレディZと、R34 GT-Rは“スポーツスペシャリティ”というジャンルでまとめられていたのですが、そこのテストに参加した、という感じでしょうか。ただその間も、プライベートではレースを続けていましたけどね(笑)。
ーーいろんなクルマに触れられたことが、フェアレディZやR34、R35 GT-Rの開発に活きた、ということはありますか?
松本:現在、私は商品性評価という仕事をしています。クルマを全部、隅から隅まで見るというのがその内容ですが、例えばいろいろなモノ、パーツの形状なども評価を行います。Z33やR34のシフトノブも、いろいろ検討して作った形状なんです。シフト方向(縦)にはガツンと手応えがあるような硬さを持たせつつ、セレクト方向(左右)には柔らかいタッチで…、といった具合に、作り込んでいるのです。すべて、機能や性能に裏づけされたデザイン、というわけです。
加藤:松本は、総合評価をやる前と後とでは、明らかにいうことが変わりましたね。腕が上がった、落ちたではなく、表現力が変わった、という感じです。
松本:すべてのクルマの、すべての部品には、それぞれ役割があるんです。それをすべて語れないといけないな、と競争力分析をやってみて思いましたね。「このパーツはなぜ付いているのか?」、「なぜこんなカタチをしているのか?」と聞かれれば、瞬間的に「こういう理由があるからです」、「こういった意図があって採用された形状です」と応えられなければいけない。少なくとも、デザインされているものは、何らかの機能がなければダメだと思うのです。(Part.3に続く)
(文/村田尚之 写真/村田尚之、日産自動車)
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