伊藤:なぜか、まったく畑違いのクライアントである日本コカ・コーラに、“11人目”のコンサルタントとして送り込まれることになったんです。「アーンスト・アンド・ヤング」に入社してから2週間くらいでした。危機管理のプロジェクトをやっていたのですが、日本コカ・コーラの担当者が難しい方だったこともあり、送り込まれたコンサルタント仲間がどんどんダメ出しをされるわけです。
僕はクルマをやりたかったので、最初はお断わりしました。ですが、次々にメンバーがダメ出しをされて “もう伊藤しかいないだろう”ということになって。ダメ元で行くことになり面接を受けたら、不幸中の幸い(笑)。担当の女性の方がなんとサンダーバードの卒業生でした。つまり、先輩だったのです。
ーー偶然とはいえ、引きが強いですね。
伊藤:“あなたもティーバードなの?”と盛り上がって……。彼女自身、自分は特別なアメリカ人だと思っているわけです。語学もいくつか操れますし。それなのに“あなたたちが送ってくる日本人は、英語も十分に話せないのにコンサルタントだなんて”と。
僕がサンダーバード卒業生だったことや、語学的な問題も少なかったことで面接を合格し、日本コカ・コーラに出向です。最も多かった仕事が危機管理でした。
ーーその後、本格的に転職されることになります。
伊藤:結局コンサルタントとして、日本コカ・コーラは1年弱担当しました。その間に、いわゆる“Y2K問題(2000年問題)”がありました。危機管理のコンサルティングの雛形を作って、僕自身のコカ・コーラのプロジェクトは終わったつもりでした。
会社に戻って、ようやくクルマのチームに呼ばれ、着手しようとしたら……。すぐに電話がきたんです。僕が一緒に仕事をしていた日本コカ・コーラ広報部の部長でした。
僕が出向していた当時、日本コカ・コーラは900人ほど社員が在籍していましたが、僕が携わったプロジェクトを元に大幅な「構造改革(リストラ)」を決行しました。そのプロジェクト進めていた時には、「自分は日本コカ・コーラのような会社で働かないだろうな」と思ってやっていました(笑)。なのに、電話をしてきた当時の広報部長から「伊藤くん、今度僕は副社長に就任が決定したので、ぜひキミに戻って来て手伝って欲しい」と言われて。
ーー普通、コンサルタントってどちらかというと憎まれ役ですよね?
伊藤:「社会人経験の浅い若造が何を分かっているんだ!」 とか、トイレに行くことさえも「サボっている」と文句を言われる存在です。でも、当時の広報部長には可愛がっていただいていました。
「キミがマーケッターなのは分かるけど、広報も実は面白いよ。コミュニケーションという意味では目的が同じだから」と。たしかに面白そうだと思ったので、日本コカ・コーラに転職することを決めました。
これってコンサルタントにとって、理想の転職方法です。コンサルタントは常に“up or out”という厳しい環境に置かれています。結局、組織内で「パートナー(アソシエイト)」のレベルまで上りつめるか、転職するかなんです。
転職するにしても、相手に請われていくのが理想です。クライアントから声が掛かるということは、バリュー(価値)があると見られているわけですから。そこで広報危機管理、環境経営についての仕事を始めることになりました。
ーー最初は四面楚歌で敵だらけだったんですよね。具体的にどんな状況だったんですか?
伊藤:最初はコミュニケーションマネージャーとして、日本コカ・コーラの良さをアピールしていくことや、企業イメージを上げることがタスクでしたが、シドニーオリンピックが終わってから環境経営部長になりました。
でも、当時の環境系の役職というのは、どちらかと言うと地味で、年齢の高い方々が携わるような目立たない業務でした。それまでも業界団体と協調し、足並みをそろえるのが仕事。ひとまずピンチヒッターで担当することになったら、案の定、古参の方たちから目をつけられます。
ーー伊藤さん、その当時は31歳ぐらいですか?
伊藤:はい。部長である以上、やられっぱなしではマズイので、こちらも得意の差異化戦略を取ることにしました。僕がどんなに必死に勉強したって、その道ウン十年のベテランの方たちにはかないません。であれば、この方たちが持ち得ない新しい価値を見出し、推進できないか、と。
当時、「企業が環境に与える影響」に対する意識付けが希薄でした。ですが、社のスケールや規模から、社会や環境に与えることのできる規模に着目し、改善するために社内的な意識付けを上げるにはどうすればいいかを考えました。
そのために着目したのが、製造負荷や製造工程によって出るコスト削減。例えば、リサイクル費用に当時、日本コカ・コーラは年間33億円も払っていました。この33億円を減らせたら、商品を売る営業同様に利益を上げていることになると。
さらに節水やゴミ削減、リサイクルを進めることで、より利益が期待できます。だから、そのプログラムを作りましょうと各部署やボトラー各社に持ちかけました。しかし、活動自体はすごく地味で目立ちません。普通にやっても面白くない。だからこそ、自分の活動自体のブランディングをしようと決め、「環境アクションレポート」を作ることにしました。
通常の環境報告書というのは、学者や役所だけが見るようなレポートですから、数字の羅列で全然面白くない。普通の小さな会社だったら、それでもいいかもしれませんが、世界のコカ・コーラですから。世界で年間6億本くらい飲まれていて、水資源に近いブランドです。国連加盟国が190カ国前後に対して、コカ・コーラが販売されている国は、当時で230カ国。単純にタッチポイントは計り知れないと思いました。
ーーたしかに、コカ・コーラを知らない人を世界で探す方が難しいかも。
伊藤:そのタッチポイントをうまく利用するには、日本コカ・コーラならではのカッコいい見せ方で、そのアクションについて伝えることが重要だと。本来、環境関係職や役所の人しか見ないデータも、面白ければ、みんなが見てくれる。それを、経営の根幹である利益に結びつければ、経営陣も環境の人間も利益を上げられることに気づいて、社内で関わる人たちの地位も上がる。
当時のトップがドイツ人だったので、日本語の部署名についてはそこまで関心が高くなかったのを逆手に取りました(笑)。当時マーケティングを担当し、ブランドを統括していた副社長の女性にも、「環境経営という名称にしたい」と直接交渉して。
それで、「初代 環境経営部長」を名乗ることになりました。社内での位置付けを上げると同時に、環境経営という名称をつけることで、環境部門を経営的指標にシフトさせるという試みでした。
ーーそれで「環境アクションレポート」が出来上がったんですね。
伊藤:結果、大成功でした。日本コカ・コーラは当時、国内に14のボトラー社がありました。最初は各環境担当者を集めて会議をしても、14人の出席者しかいませんでしたが、僕が最期に環境経営部を率いていた頃には、117名が集まる会議になっていました。
工場、水廃棄物、技術系、資源リサイクル系の担当者たちが一同に集まる会議へと成長したのです。日本コカ・コーラは清涼飲料業界のトップ企業ですから、そのやり方がその後、業界のスタンダードになっていくことになりました。
ーー環境部門が利益を上げられるというのも業界の常識に変わったんですね。
伊藤:それに伴って、日経ビジネスの環境ブランドランキングも上昇していきます。最初はトップ100にも入っていませんでした。上場していなかったので、開示義務もなかったのですが、僕らがそれをあえて開示することで、日本コカ・コーラが独自の環境システムを作ったということが世の中に知れ渡ります。
結果、100位圏外だった順位が85位、41位、23位と毎年上がっていきます。メディアの取材要請が来るようになれば、社内の注目度も上がります。結果として、年間10億円以上もコスト削減できるようになりました。最初は、全てのボトラー社から反対されました。しかし、実現するために自分が最初にやったことは、月の半分を全国のボトラー社を回ることです。各ボトラーの社長を会社の前で朝から出待ちしていました(笑)。
ーー泥臭いことをしていたんですね。
伊藤:最初は「伊藤がなにか動き回っているけれど、関わると面倒くさいから放っておこう」くらいの状況で。ボトラー社からも最初は無視されましたが、話を聞いてくれそうなボトラーの社長なども現れて、近畿コカ・コーラに自分のプログラムを導入してもらえることになったんです。そしたら、半年で3000万円、1年で6000万円……とコストカットの成果がみるみる上がって。
結果が出たらボトラー各社も一気に導入し始めて。最初は各ボトラーの社長に繋いでもくれなかった広報担当たちもどんどん社長に繋いでくれるようになりました。「自分は環境だから」と後ろ向きだった人たちも前向きになり、活動がメディアの皆さんの協力で記事になると自信を持ち始めて、さらに戦略的に広報活動を行うようになりました。約800万円の予算内で作った1冊の「環境アクションレポート」がすべてのきっかけです。
ーー完全に人々の意識を変えた“よそ者”の勝利ですね。そういう意識を変えることで成功に導いた例として、ソニー・ピクチャーズ時代のマイケル・ジャクソンのDVD『THIS IS IT』もそうですね。
伊藤:過去のデータからすると30万枚という売り上げ試算でした。その枠にはまってしまって「100万枚なんて無理」と信じ切ってしまいます。しかし、「マイケル・ジャクソン」ですよ! キング・オブ・ポップです!! それを“いつも通りに”30万枚と最初から決めつけていること自体、ど素人だった自分には理解できませんでした。
日本の人口のうち1/4、いわゆる20代~40代半ばの男性しか見えていないから、そういう試算になるんです。販売されている場所も、レコード店、レンタルビデオ店、カメラ、家電量販店など。ここで購入するのは、コレクション僻がある人たち。いわゆる我々世代ですよね。
でも、その世代は「自由に使えるお金(=お小遣い)」は、あまり持っていない人が多いのかもしれません。それ以外の層のお客様が購入することは想定されていないのですが、なぜ映画に一番親和性の高いシニア層を取り込もうと考えもしないのか? 思い込みが強すぎるのではないだろうか? と考えまして。
「そんなお客様たちに購入して頂けるような仕掛けや販売チャンネルを考えれば、絶対に100万枚は行ける!」と言ったら、当時の副社長はあり得ないといった様子で退席。結果的には、それまで販売実績がなかった新たな販売チャンネルとして、全国の郵便局や、身体を動かすことが好きな人、つまりマイケル・ジャクソンのダンスに興味を持ちそうな層が集まるスポーツジムなどにも置いてもらいました。“よそ者”だからこそ気付く疑問を実践した結果、100万枚どころか230万枚も売れたわけです。
(取材・文/滝田勝紀)
【第4部に続く】
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