ーー1990年に起業した頃、どのようなロボットを作ろうとしていたのでしょうか?
コリン:会社を起業した時に、私たちが考えていたのは、「しっかりと知能をもっているけれども、買いやすい価格のロボットを作ろう」ということでした。ただ、その時はどんなマーケットで、どんなロボットを作ろうかは、まだ答えは見えていなかったんです。
ーー起業後に、政府やNASAの仕事を受注していますね。その経緯を教えてください。
コリン:最初のビジネスアイデアとして、“クールなものを作りたい”と、月を探査するロボットを作ろうとしていました。そのために冒険の映画を作ってプロモーション動画のようにし、資金を集めようとしました。
ーーまずはロボットではなく映画撮影だったのですか?
コリン:このアイデア自体は実現しませんでしたが、後にNASAが火星に送った探査ロボットの原型になりました。ロケットに世界で初めて搭載されたロボットですね。
ーー最初から政府の仕事を積極的にしようと考えていたのでしょうか?
コリン:まったくそういうつもりではありませんでした。会社を作ったことがある人なら分かると思いますが、まずはどんな会社でも、とにかく生き残る、つまり潰れないことが大事であり、当時の自分たちも、それが第一の関心事項でした。
なぜ、政府の仕事をしたかというと、単純に、当時アメリカ政府がいろいろなテーマを選定して、それに対してアイデアを募り、いいアイデアなら資金を出すというプログラムを行っていたのです。
ーーなるほど。
コリン:会社を経営し続ける資金を得るには、非常に有効なやり方だったんです。しかも、その内容は自分たちのロボット技術を、前進させるために役立つものでした。ルンバを作る2002年までに試行錯誤を繰り返し、14ジャンルくらいに当てはまるロボットを作りました。
ーーそんな中、どうして掃除ロボットを作ろうと思ったのでしょうか?
コリン:当時からいろいろな人とディスカッションする時、自己紹介をするたびに、多くの人から「うちの家の掃除をするロボットを作れない?」と聞かれることが多かったのです。自分でもそのニーズには起業した初日から気付いていたのですが、どうすれば実現できるのか、その方法が見えていない状態が続きました。
当時、私たちは、そのとき既に持っていた技術を掃除ロボットに応用しようという戦略的な考えは持っていませんでしたし、そもそも、その技術を使おうものなら、数千万ドル単位の非常に大きなコストが掛かるという状況でした。
ーーロボット技術があっても、それは家庭用に使えるようなものではなかったんですね。
コリン:当時はそう思っていました。だから、ロボットを作るという事業をしながら、会社として生き残っていくためには、別の道を辿らなくてはいけなかったのです。ルンバが最終的に開発できた経緯というのは、私たちがそういった別の道を辿りながら、複数の分野で手掛けた仕事があったからなんです。
ーー例えばどんなものがあったのでしょうか?
コリン:「ジョンソンワックス社」の非常に大規模な商業用クリーニングロボットを作るという案件がありました。そこでまずは掃除をする、キレイにするというノウハウを学びました。さらに、後のルンバの人工知能「iAdapt」に関わる、床全体を完全にカバーするというノウハウを得たのは、ある政府プロジェクトによるものでした。
地雷を検知し、除去するロボットを作ってほしいというのが、政府の要請でした。それは後に「フェッチ」という地雷除去ロボットとして活躍しています。また、低コストでロボットを作るノウハウも学びました。これは「ハズブロー社」という玩具の会社とのプロジェクトによるものでした。このようにノウハウを蓄積し、第1号のルンバを開発(2002年)するまで12年も掛かったのです。
ーーどうして最終的に円形のロボットに辿り着いたのでしょうか? 円形だと確信したのはいつ頃だったのでしょうか?
コリン:たしか1999年です。社員の中に、アイロボット社を起業する以前、1989年くらいから関わっていた社員がいました。彼らとやっていた仕事が、先ほども話したハズブロー社との仕事で、その時はちょうど契約が終わりに近づいていました。そんな時に、当時玩具のプログラムをやっていたエンジニアの何人かが、私のところに来て、「次のアイデアがある」と言うのです。
それが、今まで得たいろいろなテクノロジーを合わせることで、低コストのロボット掃除機が作れるというものでした。そこから、具体的にルンバに対する取り組みを始めましたのです。当時から、袋小路に入った場合でも、円形ならば回転するだけでそのまま抜けられるとか、障害物も円形の方がスムーズに回れるといった、今と変わらないロボット掃除機=円形のメリットを貫いているというわけです。
(取材・文/滝田勝紀、ポートレート撮影/下城英悟)
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