――古賀さんというと元ソニーということが有名ですが、まずはソニー以前のお話しを伺えますでしょうか?
古賀:僕は九州の大川市という家具の町の生まれなんです。日本でも有数の家具産地ですね。そこは周りがみんな中小企業の社長さんばっかり。私の家も、親戚もそう。大川ではみんながものづくりをやっている。
そのインフラが揃っていて、ものはいろいろですけど、みんながなにかを作っている。そういう環境だったので、「いずれはものづくりで事業をやりたい」という思いがありました。
ただ、学生時代はずっとギターをやっていました。趣味のレベルではなく、そっちの道に行こうかなとも思っていたんですが、やっぱり大学には行くかと。しかし、地方出身でお金はない。でも東京に行きたい。国立で探したら千葉大学があるじゃないかと。それで千葉大学に進みました。
――ソニーへの就職を選ばれた理由は何ですか?
古賀:音楽が好きだったので、ソニー製品を自然に買っていました。ソニーのラジカセを持つのが夢だった。ソニーは大好きなブランドで、商品も大好きだった。だから、就職もソニーしか受けてないんですよ。
――ソニーではどのような業務にかかわられたんでしょうか。
古賀:音響部門を希望して配属してもらいました。基本的にはエンジニアです。最初はアナログのウォークマン。その後、CDウォークマンをやったり、DATウォークマンもやりました。また、ICレコーダーの立ち上げやMP3タイプのネットワークウォークマンにも関わりましたね。
元々はウォークマンのメカデッキという機構部の設計者だったんです。アナログ時代のメカの部品はひとつとっても多岐にわたります。プラスチックも、目的に応じていろんな部材を使い分けるわけです。
ウォークマンというのは軽薄短小の代表でしたから、いかに軽く薄く、小さく作るかというなかで、それらに合った素材作りをプラスチックやゴムなどの各部材メーカーさんと一緒にやっていました。我々が新製品を作るために、各部材メーカーさんと共同開発で新グレードを生み出すといった感じです。
――まさにメカの部分ですね。
古賀:そうですね。プロダクトの進化としては、“メカニクス”の時代があって、その次にフロッピーディスクのような、メカとエレクトロニクスが融合したような“メカトロニクス”の時代が訪れます。
そして、今度はデジタルが融合した、“デジトロニクス”という言葉が出てきて。その次に出てきたのがコンピュータ・アーキテクチャの時代で、今はインターネットの時代。こういう変遷があるなかで、僕が現役で設計をしていたのは、メカニクス~メカトロニクスの時代でした。言わば日本が一番強かった時代です。
――そして現在は白物家電を作られています。
古賀:よく「黒物から白物ですね」と言われるんです。ウォークマンから空気清浄機って。でも何の違和感もないんです。空気清浄機ってモーターを使うでしょう。そして、昔のウォークマンもモーターを使っていました。モーターやベルトを使った、いわゆるメカニズムの塊です。その視点から見ると空気清浄機って、それをもっとシンプルにしたものなんです。
簡単というと語弊がありますが、今の白物家電というのは、昔のメカニズムをやっていた我々、ウォークマンやビデオデッキ、フィルムカメラなどを設計していた立場から見ると、とってもシンプルなんです。そんなに小さくしなくてもいいし、複雑な機構がある訳でもない。部品点数も少ない。個々に奥の深さはありますが、技術的には難しくない。
――白物家電ではまだメカトロニクスの技術が活かせる訳ですね。
古賀:そうです。逆は無理だと思うんですよ。今デジタルで黒物の設計をしている人にメカをやれといっても無理だと思います。私はソニー時代に、1995年以降の急激な円高からメーカーの生産がドンドン海外にシフトしていく中で、どうやってMade in Japanを続けられるか、加工費を掛けず、さらに巨額の投資の必要なロボット組み立てなども使わない方法を模索するようなこともしていました。
一番効率がいいのは金型のなかでものを組み立てることです。プレス機でパシャン、パシャンとやると組み立てられたものが出てくる。この金型の設計などもやっていました。もの作りに関して、ずっとチャレンジブルなことをやっていたんですよ。
――中国赴任が独立のきっかけと伺いましたが?
古賀:2006年から中国の深圳に3年ほど赴任して、設計開発の拠点となるACBC(オーディオ・チャイナ・ビジネス・センター)の立ち上げを行いました。それが終わった頃に、中国人実業家の張忠良氏と出会いました。
その方と一緒にビジネスをやろうと、ソニーを辞め、業務用空気清浄機の会社を中国深圳に立ち上げました。それがCTK Technology (Shenzhen) Co.,LTDです。
――最初から空気清浄機だったんですね。
古賀:きっかけは東北文化学園大学の野崎惇夫教授の研究でした。日本で発売されている空気清浄機はマイナスイオン方式に偏っていて、本来の空気清浄能力を追求していないと。先生が作られた実験機と大手メーカーの製品を比べたグラフを見ても圧倒的でした。
残念ながら、教授の持つ特許技術は量産化に向かなかったのですが、これらを基に「フォトクレア」という新しい技術を開発しました。これは日本で生まれた光触媒技術の応用です。活性炭の表面に光触媒をコーティングします。
そこにLEDを照射することによって、吸着した有害な物質を光触媒でもって分解し、フィルターの長寿命化が図れる。この技術を使って最初に出したのが、「Prisini」という第一号機。これはCTKで作った製品です。
――これは中国での発売ですか?
古賀:いえ、中国と日本にあわせて3000台出荷しました。このモデルを経験したことで、空気清浄機に必要な基本的な技術を習得できました。そして、次のステップが、鈴木 健との出会いになります。
(取材・文/コヤマタカヒロ)
【第3部に続く】「水と空気」を極める家電。cadoの“技+美+心”
【第1部】“性能とデザインで勝負する”cadoの家電とは
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