■マツダのロータリーエンジンは、いい意味で“鈍感”
マツダがル・マン24時間耐久レースで総合優勝を果たしたのは、’91年のこと。そこからさかのぼること1年。’90年のル・マンには、トヨタや日産自動車といった日本メーカーも参戦。トヨタは総合6位、日産は総合5位という成績を残しています。しかし翌’91年は、諸般の事情により両メーカーは参戦を断念。日本勢としては、マツダが孤軍奮闘することになりました。
翌年からのレギュレーション変更により、’92年はロータリーエンジンの参戦は不可ということが決まっていましたから、’91年はまさに、マツダにとってル・マンチャレンジの集大成となる年。必勝体制で挑んだマツダは、2台の787Bと旧型「787」1台の、計3台をエントリー。カーナンバー55の787Bがレース終盤にトップに立ち、結果として362周、4923kmあまりを走り切り、見事に総合優勝を飾りました。
また、カーナンバー18の787Bも、355周を走りきって6位、“ミスタール・マン”と称えられる名ドライバー・寺田陽次郎さんがドライブするカーナンバー56の787も、346周を走破して8位という記録を残しています。
そんなマツダ787Bは、9月23日に富士スピードウェイで開催された「Be a driver.Experience at FUJI SPEEDWAY」など、各地のイベントでその走行シーンを披露することがあります。レーシングカーといえば、パワフルにして強靭なのは間違いありませんが、一方で扱いが難しく、繊細という印象をお持ちの方も多いことでしょう。そんな現役引退から25年以上が経過した787Bを、走らせ続けている理由とはなんなのでしょうか?
−−現役を引退した787Bを最初に走らせることになったのは、どういうきっかけがあったのでしょうか? 一時は「もう走らせることはない」とのアナウンスも出ていましたが…。
渡邉さん:最初は、55号車がル・マンで優勝した後に作られた、202号車を復活させようという話だったのです。55号車はル・マン優勝車ということもあり、保存することが決まっていました。その代わりとして作られたのが202号車。それで’91年の残りのシーズンを戦いました。そんな202号車が、横浜にあるマツダのR&Dセンターに保管されていて、10年ちょっと前にそれを復活させようという話になったのです。
当時、私は別の部署にいたので「もう触れられる機会はないだろうな」と思っていたのですが「エンジンが掛からないから手伝ってくれ」といわれ、お手伝いすることになったのです。エンジンが始動しなかった理由として、いくつか思い当たる原因があったのですが、予想どおり、インジェクターの固着でした。つまり、今日デモランを行った55号車よりも、実は202号車の方が早く復活していたのです。
一方、55号車の復活は、2011年にル・マンの主催者から「ル・マン優勝20周年を記念して、サルテサーキットで787Bのデモランを披露できないか?」というお誘いをいただいたのがきっかけですね。それ以前にも、別の場所で何度か走らせていたので、なんとか走れる状態にはありましたが、そのお誘いを機に、ル・マンに向けて本格的なレストアを行うことになりました。
−−レストアではどのような作業が行われたのでしょうか?
渡邉さん:私の専門はエンジンなのですが、55号車のレストアでは、エンジンの作業に3週間ほどの時間を費やしました。マシン全体では、1カ月ほどのメンテナンスを要したと思います。エンジンについては、搭載されていたものをいったん外して降ろし、リビルトした別のエンジンに積み換えています。
リビルトしたR26B型エンジンは、当時のレースで使用していたエンジンそのものをベースにしています。保管していたエンジンを分解してチェック、再計測し、必要なパーツのみを交換して再生しました。新品パーツは残していたので、できればそれらだけでエンジンを組み上げたかったのですが、それを行うとこの先、リビルトが必要になった際に部品の欠品が生じて対応できなくなる恐れがあるので、必要最小限の部品交換だけで済ませる方法を選択しました。
−−ちなみに現在、202号車と55号車という2台が、ともに走行可能な状態にあるのでしょうか?
渡邉さん:そうですね。55号車は普段、広島の本社に併設されているマツダミュージアムに展示していて、202号車は山口にあるマツダの美祢自動車試験場で保管しています。
202号車は、イベントなどで走らせることが決まると、1週間ほど前に試験場に出向き、各部をチェックして送り出します。55号車は、イベントの前にサーキットなどの会場でメンテナンスを行います。問題がなければ、あえてオイルや水も交換しません。“デモラン(デモンストレーションラン)”ではエンジンにさほど負荷が掛かりませんし、冷却水も現役当時と異なり、LLC(ロングライフクーラント)を使用していますからね。
野村さん:意外に思われるかもしれませんが、耐久レース、中でもル・マンの24時間レースを戦うマシンの耐久性というのは、皆さんが想像される以上に高いものなんです。
例えばF1マシンは、2時間300kmを走り切れる耐久性があれば十分なわけです。モノコックシャーシは年に数回の交換、足まわりのアームはレースごとに交換という整備サイクルです。一方、ル・マンを戦うマシンは、距離にして5000kmを全開で走っても、トラブルが出ないように設計されています。
エンジンは、私の専門領域ではありませんが、5000kmを走破し「まだちょっとだけ余力があったね」という程度の耐久性がベストなんです。
渡邉さん:レース用エンジンというと、すごく繊細というイメージがあるかもしれません。確かに、他社のマシンに積まれるレシプロエンジン、特にターボエンジンは、シビアだという話を耳にします。でもマツダのロータリーエンジンは、いい意味で“鈍感”なんですね。
例えば今、787Bのロータリーエンジンは、デモラン前に点火プラグのチェックをしますが、その時、交換までは行いません。仮にプラグが“かぶっても”、長年、ロータリーやレーシングマシンに触れてきましたから、症状は音で分かります。もちろん、3カ月以上動かさなかった場合、それなりのメンテナンスを行いますが、基本的に、年間の走行カレンダーから逆算し、必要な整備を行う、という感じでしょうか。そういう意味で私たちは、ラクをさせてもらっているのかもしれませんね。
−−787Bはそれだけ、よくできたマシンだったということですね。では、日常といいますか、動かす時はどのような整備を行われているのですか? エンジンそのものは、問題なく始動するのでしょうか?
渡邉さん:水やオイルは必ずチェックしますし、R26B型エンジンの特徴的なシステムのひとつである“可変吸気システム”は、チェックしてグリスアップやワイヤーの調整を行います。あと、スロットルセンサーの電圧などもチェックしますね。
長期間走らせずに保管していた後も、エンジン内に入れていたオイルを排出し、各部に問題がないかをチェックするくらいですね。本当にR26B型エンジンは頑丈なんですよ。デモラン程度であれば、エンジンは本来の性能の数十%も使っていませんから、むしろ分解してしまうと、いろんなリスクが生じる恐れが生じてしまうという判断です。現役の頃というのは、ル・マン本戦まで、日々、開発の連続でしたから、いろいろとセッティングを変えていましたし、エンジンもあれこれ交換していました。でも、ル・マンのレース以降は、決まったセッティングをそのまま維持していたのです。
ちなみに、現役当時は9000回転でエンジンのレブリミッターが効くよう設計されていましたが、2011年のレストア時に、リミッターの回転数を下げたんです。そうしたらドライバーの寺田さんから「低すぎるから直して欲しい」とリクエストが来まして、現在では8500回転に設定しています。
もちろん、シビアにチェックすれば、気になるところがないわけでもありません。例えば“空燃比(空気とガソリンの比率)”は、今、ほんの少しですが濃い方にズレているんです。でも、当時の車載コンピュータは、今では調整できないんですよ。787Bは、今では普通の乗用車にも採用されている“リニアO2センサー”で、空燃比のフィードバックを行っているのですが、当時は試作パーツを使用していたこともあって、もうスペアパーツがないんです。細かく挙げていけば、確かにそういう部分はあるのですが、それでも今、2台を問題なく走らせることができています。そういう点で787Bというのは、手間の掛からないマシンですよね。
−−もしも、の話ですが、エンジンが故障するようなことがあった場合、55号車はどうなるのでしょうか?
渡邉さん:明らかなダメージがあれば、今のエンジンを降ろし、以前積んでいたエンジンに交換するか、時間が許せば、残っているパーツを使って、2011年と同様にリビルトエンジンを組み上げて搭載することになるでしょうね。