熟練エンジニアのワザと情熱が今に伝える!ル・マン優勝車 マツダ787Bの勇姿

■ダンロップのタイヤは前輪がイギリス製、後輪は日本製

−−エンジンに関しては、当分の間はまだまだ、コースを走る勇姿が見られそうですが、シャーシ回りの劣化などはないのでしょうか?

野村さん:2011年のレストアの際に、ボディやシャーシにはかなり手を入れました。ブレーキやクラッチのシール類やゴム類はすべて交換しましたし、劣化が見られた燃料のホース類も交換しました。APレーシング社がクラッチやブレーキマスターをまだ作っていたので、それらを換えています。またブレンボ社も、ブレーキキャリパーの製造こそ中止していましたが、シールキットはまだ手に入る状態でしたので、そちらも入手しています。そのほか、ダンパーやサスペンションは、フルオーバーホールを行っています。

−−外部メーカーのパーツだけでなく、マツダが手掛けた部品もまだ存在するのですか?

野村さん:そうですね。サスペンションアームやドライブシャフトなどはあります。トランスミッションもまだ、スペアが残っていますよ。

−−そうした部品は、2011年のレストア時に再生産されたものですか?

野村さん:いえ。現役当時のスペアが、ストックしてあるのです。例えば、レースの予選で使ったけれど、本番では使わなかったパーツなどですね。そのほか、スペアパーツとして用意されていた部品なども、廃棄せずに残してあります。

−−渡邉さんによると、デモランは負担が少ないというお話でしたが、シャーシも同様なのでしょうか?

野村さん:デモランはサーキットなどを5、6周する程度ですし、タイヤも現役当時の本番用のように、グリップが高くありません。確かにストレートでは、それなりにスピードが出ますが、タイヤのグリップが低く、コーナリングは全開ではありませんから、シャーシに掛かる負担は少ないですね。

−−今回のデモランも迫力満点でしたが、現役当時のレースは、かなり過酷だったのでしょうか? またマシンの開発には、どのようなご苦労がありましたか?

野村さん:当時の話になりますが、例えば、車両重量に関するレギュレーションで「最低重量が1トン」と規定されているからといって、実際のマシンも1トンになるように作ればいい、というワケではありません。787Bの現役当時のレギュレーションでは、マシンの最低重量は830kgでしたが、実際には790kgくらいしかありませんでした。つまり、できるかぎり軽いマシンに仕上げ、ウエイトを積むことでマシンのバランスを取っていたのです。私たちはマツダ直系の“ワークスチーム”でしたから「最善を尽くしてマシンを作ると、どれだけ軽いマシンに仕上がるのか?」、いつもそんなことを考えて開発、製作していましたね。

でも一般的に、ボディやシャーシは軽くし過ぎると、その分、壊れやすくなります。ですから、強度を確保するために「ここはコンマ数mm厚くしよう」とか「アルミニウム製のパーツが壊れるのならクロモリ材で作ってみよう」とか「熱が関係ない部分はカーボンなどのコンポジット材やチタンで作ろう」といった具合に、材料の置換や板厚のコントロールなどを細かく行いました。

ル・マンの場合、ストレートでの最高速こそ、毎年さほど変わりませんでしたが、タイヤやサスペンション、空力性能というのは、シーズンごとに必ず進歩していました。そうすると、自然にコーナリングスピードが上がりますから、前年のままの強度だと、足回りへの負荷が大きくなって壊れてしまうんです。

シーズンが始まると、ル・マンの本番までにエンジンはレースごとに交換していましたが、車体はそのまま使い続け、どこで壊れるのかを調べていました。耐久レースは500km、500マイル(約800km)、1000kmという距離で争われるケースが多いのですが、サスペンションアームなどは必ず、クラックのチェックしつつ継続して使用し、壊れる予兆があれば交換、というイメージで戦っていましたね。ル・マン本番は、すべて新品パーツで挑むのですが、パーツごとに材質やライフの管理は入念に行っていました。

’89年までは、アーム類のボルトにチタン製のものを使用していましたが、コーナリングスピードが上がるに連れ、ボルトが折れるようになったんです。そこで、クロモリ製ボルトや航空機用のボルトを試してみて、さらにそれでも折れるようであれば、例えば、M6からM8にサイズアップといった具合に、ル・マンの本番までに改良を加えていきました。

ちなみにアーム類のゆがみは、手で触ったりなでたりすると、分かるようになるものなんです。非破壊検査も確かにすごいと思いますが、人間の手の感度というのは、それ以上なのです。デモランの際も、例えば私たちがピットでフレームやアームを触っていると、ただ掃除しているかのように見えるかもしれませんが、構造部品が分かる人が触ると、それがゆがんでいるかどうかが分かるのです。

−−その辺りの感覚というのは、やはり経験に裏打ちされたものなのでしょうね。ちなみにレーシングカーというと、最高速での全開走行時の方が、負荷が大きいと思ってしまいがちですが、シャーシに掛かる負担というのは、実際にはどんな時に大きくなるのでしょうか?

野村さん:足回りの話を聞くと「やはりレーシングカーというのは繊細で壊れやすい」と思われるかもしれませんが、とはいえル・マンを戦うマシンは、先ほどもお話しましたように、基本的に5000kmの距離を全開で走っても壊れない設計になっています。今回のデモランでは、ストレートこそ全開に近いですが、コーナリング時はスピードを抑えていますから、10周弱の走行であれば、マシンに対するダメージはほとんどありません。

−−全開となると、デモランでもストレートでは相当なスピードになると思いますが、シャーシやタイヤのセッティングは、現役当時のままなのでしょうか?

野村さん:一度、セッティングが決まると、あまり調整はしませんが、タイヤ自体の仕様が変わったり、コンパウンドが変更されたりすると、それに合わせてアライメントを調整し直すといったリ・セッティングを行います。ちなみにタイヤは、今もダンロップさんが供給してくれるのですが、実は前輪はイギリス製、後輪は日本製とバラバラなんです。なので、現在の787Bは、そのバランスで走れるような設定にしていますし、タイヤの空気圧も、タイヤウォーマーを使えていた現役当時とは違う数値にセッティングし直しています。

787Bが使用するレーシングタイヤの適正空気圧は、2kgf/cm2程度なのですが、今回のデモランでは、前後1.3kgf/cm2でスタートさせています。今のタイヤは、現役当時のタイヤと比べてコンパウンドが固いので、タイヤ自体をたわませることで発熱させ、空気圧が適正値に上がるような設定にしています。この辺は、気温や路面温度、デモランの周回数なども考慮して毎回、調整していますが、やはり経験に基づく部分といえるでしょうね。

−−タイヤひとつとって見ても、やはり経験に基づくセッティングのノウハウが必要なんですね。お話をうかがう限り、シャーシ関連に関してはパーツの不安はさほどなさそうですが、今後787Bを末永く走らせていく上で、気になられている箇所などはありますか?

野村さん:唯一、気になるのは、再生産できないホイールでしょうか。リムの部分はアルミでできているのですが、センター部分はマグネシウム製なんです。表面処理もされていますし、耐久レース用なのでまだまだ十分な強度はあると思うのですが、マグネシウムは経年劣化する素材ですから、いつまで使えるか次第でしょうね。

デモランでは、寺田さんを始めとする787Bのことをよくご存じのドライバーの皆さんがお乗りになられるので、走行中に壊れるようなことはないでしょう。とはいえ足回りのトラブルは、ドライバーの命にも関わりますから、少しでも危ないということになれば、走らせることはできません。基本的にはル・マンで勝った当時のまま、できるかぎり長くオリジナルの状態で走らせて、多くの皆さんに楽しんでもらおうというのが787Bのデモランのコンセプトですが、安全に走らせ続けるために、いずれはオリジナル以外のパーツの使用を検討する必要があるかもしれませんね。

【取材を終えて】
ル・マンでの輝かしい優勝から、実に27年。今日もなお、多くの人々を惹きつける787Bですが、レーシングカーを動態保存していくための維持や管理には、少なからぬ労力が費やされているのは紛れもない事実です。そしてそこには、現役当時を知るふたりのベテランエンジニアの知見、そして、当時と変わらぬ情熱も不可欠なのは、間違いありません。皆さんも、イベントなどで787Bの勇姿をご覧になる機会がありましたら、ぜひとも惜しみない声援、拍手を送っていただければと思います。

(文&写真/村田尚之)


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