――ThinkPadに最初に関わったのはいつですか? その経緯を教えてもらえますか。
デビット・ヒル氏(以下ヒル氏):ThinkPadが最初に発表されたのが1992年です。ドイツのインダストリアルデザイナーである故リチャード・サッパー氏が当初のデザインを考え出しました。
この初期のモデルには、エンジニアリングの観点からのデザインが盛り込まれています。私は元々、ミネソタにあるIBMでサーバーのデザインをしていました。そこにリチャード・サッパー氏から直接連絡があり、ノースカロライナとラーレイに来てくれと言われました。それが1995年、そこからノートPC、ThinkPadのデザインに関わるようになったのです。
――ノートPCのデザインをしてくれと言われてどう思いましたか?
ヒル氏:非常に光栄でしたし、すごく楽しみにしていました。というのも、サーバーとコンシューマ向けの製品では仕事がかなり違うんです。たとえば、デザインの仕方も違いますし、実際に製品として手にするのが個人だというのも違います。
――ThinkPadのデザインを手がけるに当たって大切にしたことを教えてください。それは今でも継承されていますか?
ヒル氏:かなり早い段階で、ThinkPadは何か違う、スペシャルなプロダクトだと気づきました。サッパー氏によるThinkPadのデザインは、独特のクオリティを持っている。これは時を越え、長く生き続けるデザインだと感じました。今でもそう思っています。
人によっては、ThinkPadはデザインじゃなくて、機能や性能を重視した製品だという人もいます。しかし、私はスタイルが非常に大事だと考えています。中身を伴うスタイルとして私は見ていますが、ThinkPadはフォルムと機能が融合しているのが独特で、かつ進化し続けられるものだと思っています。
他社では新製品が出る時に、どのようなカタチのものが出てくるか全く予想がつきません。でもThinkPadは、過去のデザインを継承していますので、どんな製品が出てくるかユーザーもある程度期待、想定ができると思います。
――ThinkPadというと、黒いボディ、赤いトラックポイントが特徴的です。この基本的なデザインはいつ生まれたんでしょうか?
ヒル氏:実は1992年よりも前なんです。IBMはThinkPadの前から度々ノートPCを作ろうとしてきましたが、成功していませんでした。当時のPCは大きかったし、重かった。また、色もベージュ一色で、見た目にも魅力的ではありませんでした。
それにスクリーンも小さくてカラー表示もできず、ユーザーが欲しいと思うような製品ではなかったんです。一方でサッパー氏は、コンセプトカーを作るみたいに将来に向けたビジョン、デザインのコンセプトを作りたいと考えていました。サッパー氏は画期的な新しいPCを作るため、それまでIBMのPCでは採用例がなかった「黒」を選びました。
パーツも効率を重視して選んだので、プロトタイプのThinkPadは、まるで弁当箱のようでした。ただし外見は黒い弁当箱ですが、開けてみるといろいろなサプライズが待っている。キーボードやディスプレイがあるし、真ん中に赤いトラックポイントがある。それがThinkPadとして今に続いています。
――赤いトラックポイントは社内でもいろいろな議論があったと伺ったことがあります。
ヒル氏:確かにいろいろ議論が当時ありました。サッパー氏は人々の関心を集めたいと、だからこそ赤を使いたいと言っていました。
しかしIBM製品の安全性を担当する部門から「赤はダメだ」と言われたんです。というのも、IBMにおいて「赤」はメインフレームの非常電源停止ボタンなんですね。大事な色だから非常電源停止ボタンにしか使っちゃダメだと。
でもばかばかしいですよね。刺激的なデザインをしたいのにスイッチの色といわれても。そこで調べたら、安全性を担当する部門の人たちはスペックが書かれた仕様書を読んで基準を満たしているかを調べている時に、トラックポイントがレッドだということを知ったそうなんです。
製品を見たわけじゃなくて、文字を見てダメだといっている。だから、スペック表の表記を「IBMマゼンタ」に変えたんです。そして実際に製品を見せるときにはマゼンタのカバーをつけた、なんて話もあります(笑)。
――サッパー氏が作った黒いボディと赤いトラックポイントというシンプルなコンセプトを継承していくのは苦労があったと思います。
ヒル氏:新しい仕事を引き受けたときは、何か新しいことを手がけたいと思い、自分が新しいことをやったんだと言いたいですよね。ただし、私の場合は新しいことよりは「よりよいこと」「よりよいもの」を作りたいという思いが強かったんです。
IBMには、常にいろいろな人が来ます。新しいマーケティングの担当、開発担当、新しいゼネラルマネージャーがアサインされて異動してくるわけですね。みんな新しいことをやりたがる。ThinkPadのデザインを変えようと言うんですが、それを一生懸命食い止めるのが私の役割でした。
――守りたかったところ、変えてもいいところの線引きはご自身の中にあったのですか?
ヒル氏:特に明確に区切りがあるわけではありません。たとえば料理のレシピのように、定義付けられているものはないんですが、いくつかの要素は変えてはいけない、不変だと思っています。一方でテクノロジーの歴史の中で進化してきたもの、遊んでみて変えたものもありますね。
ThinkPadのビジュアル的に一番コアとなる要素は、長方形のボディや、黒い色、ロゴの位置や角度、そして赤のアクセントですよね。こういった要素はコアとなる部分であってそれを変えるとThinkPadじゃなくなってしまう。
ただ、ThinkPadで面白いのは、黒いデザインのノートPCに赤いトラックポイントというデザインで始まったとき、まさかこれが24年間変わらずに続くだろうとは、サッパー氏も思ってなかった。ではなぜ、このデザインがずっと続いたかというと、やっぱりプロダクトとして成功したからだと思っています。
初期のThinkPadは本当にユーザーから愛された製品だったんです。だから第二世代のThinkPadを投入するときに、変えたくないと、変えないで欲しいという思いがすごくあって、セカンドジェネレーションのThinkPadも初期のものとかなり似ているんです。
ただ、当たり前ですが改良はしています。たとえば、ヒンジを強化したり、カバーがあまり落ちないようにするといった、品質に関わる部分は進化しています。
今、もう一回ゼロからThinkPadをやり直すのは不可能だし、それをやる意味もありません。ユーザーが新しいThinkPadを買うときは、新製品を買っているってだけでなく、20年以上培われてきたその経験、知識を積み込まれたものを買ってるんだと思います。
――ThinkPad X1ブランドのタブレットが登場しました。このようにデバイスは変化します。そんな中で、ThinkPadがこれからも変わらない部分はどこでしょう?
ヒル氏:ひとつはデザインに対するアプローチです。これは変えたくないですね。ただデザインをするだけじゃなく、目的を持って、考えに裏付けされた意味のあるデザインはこれからもずっと守っていきたい。ただ新しいから斬新な形にすることはあってはなりません。
だからといって、ノートPCしか作れないわけではありません。同じような考え方をダブレットやヘッドホン、キーボード、ドッキングステーション、モニターなど、いろいろなものに適用できると思います。“”ThinkPadスピリット”を守ればいいと思います。
――スピリットというのは、単純な色や形ではなく、そこに至るまで考え方でしょうか? それともルールがあるのでしょうか?
ヒル氏:考え方もそうですが、例えば黒と赤の組み合わせはずっとThinkPadに残るものだと思います。だからといって、シルバーのThinkPadも作れるでしょうし、赤の製品も作れるでしょう。
ただし黒はThinkPadの一部であり続けます。過去に黒以外のThinkPadも製品化したことはありますが、黒は必ず用意しています。黒色はいろいろな文化、国によって意味を持つ色で、例えばパワーや強さを意味することもあるし、ミステリー、真実、正義、あるいは死……。いろいろな意味につながりうる面白い色ですよね。
ThinkPadのデザインとブランドは密接につながっています。他ではあまり例はなく、ポルシェ911やジープくらいでしょうか? 本当に特別なブランドイメージです。そんなThinkPadに関われて、それを率いることができるというのは、非常に嬉しく思っています。
――最後に日本のThinkPadファンに対してメッセージをいただけますか。
ヒル氏: ThinkPadの基本となる考え方は変わりません。ThinkPadが求めている理想も変わらないということをお伝えしたい。ただ、どんどん良くなるということ。また、ThinkPadブランドの製品群の幅もどんどん広げて、PC以外も出していきます。今、とてもエキサイティングなタイミングを迎えていると思います。
私には3人の上司がいます。それはレノボという会社と、自分自身、そしてThinkPadのファンの皆さんです。これからも皆さんを喜ばせるためにThinkPadを作り続けたいと思っていますよ。
(取材・文/コヤマタカヒロ)
PCやタブレット、スマートフォンなどのデジタルギアからオーブンレンジ、炊飯器、ロボット掃除機などの白物家電までカバー。実際に製品を使い、その体験を活かした原稿を手掛ける。スペックからは見えない使い勝手などを解説する。
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