■チャンバーまで交換すると迷路の始まり
“3種の神器”と呼ばれたパーツは、エンジンや吸排気系がノーマルでも速さを引き出すことができたため人気が高かったわけですが、そこからマフラー(当時は2ストロークエンジンが主流だったため「チャンバー」)を交換すると、セッティングに苦労する人も多かったようです。
「エンジンのパワーが出る回転数が変わるため、駆動系もウエイトローラーの重さを変えるなどしてセッティングを合わせる必要がありました。エンジン特性と駆動系のセッティングが合っていないと、せっかくパーツを替えてもスピードが出なくなる場合もあるので。当時はそういうユーザーさんからの問い合わせが多く、1日中電話でセッティングの相談に乗っているようなこともありましたね」と織田社長は笑いながら振り返ります。
自社製パーツの組み合わせであればまだしも、チャンバーは他社製で駆動系がデイトナのパーツである場合や、その逆などもあるため電話口ではまず車種と装着しているパーツの仕様を聞き出す必要があったとのこと。
「その上で症状を聞いて、色んなところを一気にいじるとどうにもならなくなるので、まずはウエイトローラーを1g軽くしてみて改善しなかったらまた相談してくださいと伝えるなど、1件の問い合わせに対して1時間近くかかることも珍しくなかったですね」(織田社長)
当時はデイトナ製のチャンバーだけでもいくつも種類があり、それぞれに特性が違いました。まして、設計思想が異なる複数の会社製パーツを組み合わせると、セッティングに苦労するユーザーも少なくなかったようです。筆者も高校時代に、何度もウエイトローラーを交換しているうちに、プーリー取付部のスプラインが傷んでしまい、泣くに泣けないような状況に陥ったことがありました…。インターネットもなかった時代なので、困った人は電話で相談するしかなかったのでしょう。
「当時は高回転ではパワフルでも低回転はスカスカというような極端な性能のチャンバーなどもありましたからね。その中では弊社の『スーパーブラック』チャンバーはノーマルセッティングに対応していて音も静かなことで評価をいただいていました。ほかにも、より高回転型の『スーパースプリントチャンバー』や、さらにパワーを求めた『スーパーDASHチャンバー』というのもありました」(織田社長)
当時はレーサーレプリカブームということもあり、50ccスクーターであっても“速さ”が重要視されていた時代。メーカー各社のラインナップにも力が入っていました。1980年代には「R」や「RR」の名を冠したモデルも発売されたホンダの「DJ1」や、ヤマハの「チャンプ」(こちらも「RS」や「CX」などのバリエーションモデルも豊富でした)など“カッ飛び”系のスクーターがブームに。スクーターによるレースも盛んでした。
「私もスクーターレースに関わっていましたが、ノーマルクラスだとスズキの『ハイ』が速かったのが印象に残っていますね。縦型エンジンの『JOG』も速かったですが、水平エンジンになってからは各チーム苦労していたようです」と織田社長も当時の思い出を話してくれました。
各メーカーが発売する車種が豊富で、毎年のようにモデルチェンジが行われていた時代、カスタムパーツの開発も大変だったようです。「同じメーカーでも車種によって専用設計のパーツが多かったですし、年式ごとにパーツも新開発する必要がありました。新モデルが出たらすぐに購入して、テストを繰り返しながらチャンバーや駆動系のパーツを開発していました。なにしろ当時はスクーターのパーツは売れましたから」(織田社長)
当時はスクーター用のパーツだけで月に数千個を販売していたとのことなので、当時のライダーがどれだけカスタムに血道をあげていたかが伝わってきます。