ロードスターの核心:マツダ 山本修弘(3)名将はいかにして生まれたか?

 サッカーもレースもクルマの開発も、大切なのは信頼関係

--東洋工業に入社後は、どんなお仕事に就かれたのですか?

山本:最初は現場実習で、品質管理部の購入品検査でした。その後、配属されたのがロータリーエンジン研究部の設計課でした。望みが叶いました。新人ということもあり、2年間はロータリーエンジンの基本構造などを勉強しながら、先輩といっしょに試作図面などを描いていました。

転機になったのは、ロータリーエンジン研究部にレース用エンジンを開発しているチームがあって、そのチームでともに「世界と戦うための開発をやりたい!」という嘆願書を上司に出したことですね。

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--当時、富士スピードウェイで開催されていた「グランチャンピオンレース」に全戦、足を運ばれていた、というお話を聞きました。

山本:はい。広島から毎戦、マイカーで。しかも自費ですよ(苦笑)。金曜に会社が終わってから10時間走って静岡県の御殿場へ。土曜の朝はチームの皆と民宿で朝食を食べてから予選。日曜は決勝が終わると同時に、広島への帰路に就く。自宅に帰り着くのは月曜の朝3時。そこから仮眠をとって出社…。そんな生活が続いていましたね。

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1991年ル・マン24時間耐久レースで日本車初の総合優勝を果たしたマツダ「787B」。搭載される4ローターエンジンは、若かりし頃の山本さんが手掛けた名器

--すさまじいバイタリティですね。

山本:でも、そこで学んだことがたくさんありました。レースの現場でチームのゴールを共有し、会社に戻る。やらなきゃいけない課題が分かっていますから、「次までに直してくる」といったら、徹夜してでも絶対にやり遂げなければならないのは大変でしたけどね。

そういった、人と人との信頼関係を保つのってすごく大切で、それがチームワークを育むわけです。結局、レースもそうだし、高校時代のサッカーもそうだし、もっといえば、クルマの開発も全く同じ。それぞれのポジションでそれぞれのメンバーが、一人ひとり自分たちの役割責任を果たして、描いたフォーメーションのもとに全員でゴールを目指す。すべて同じなんですよね。

--なるほど。そこへつながるわけですね。

山本:ひとりでもサボったらダメですよね。予測して動かないといけないし、練習以上のことは絶対できないんです。奇跡的にできる、なんてことはまずない。

技術開発も同じですよ、普段から気に留めていろんなことを思って、考えていないと、アイデアなんて浮かんでこないですからね。一生懸命やって、結果的にチームと一人ひとりがそれぞれの役割責任を果たす。ひとりではできなくても、チームが結束を固めれば、やっぱりゴールって描けるんです。一生懸命、技術を研究して開発するわけですよ。そうするとゴールは必ず生まれるんです。

--そういう意味では、ロードスターの開発チームは最高のイレブンですね。

山本:(少し照れながら)最高かどうかは分かりませんが、本当にいい仕事してくれました。NDはまさに、チームワークの勝利なんです。

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2015年9月19日に開催された「三次試験場50周年マツダファンミーティング」。誇らしげに手を振るロードスターオーナーたちの姿に、山本さんも満足そうだった

(文/ブンタ、写真/江藤義典)

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