中卒で元・暴走族のヒップホップダンサー。その愛機は、大人顔の“AIR JORDAN 1”

■キング・オブ・キックスとともに、踏むステップ決めるムーヴ

【お気に入りの1足】
NIKE
「AIR JORDAN 1 HI OG “Dark Mocha”」

▲ダンサー・Changyamaさん(41歳)

2012年より中学校体育で必修化したことにより、今や“スポーツ”としての市民権を得たダンスだが、Changyamaさんが始めた頃は、もっとアンダーグラウンドな“カルチャー”だった。ここから彼とダンスの馴れ初めをひも解いていくのだが、開口一番思わぬ言葉が飛び出す。「中卒で元・暴走族でした」。

人当たりが良くて柔和な印象しかなかったので、思わず驚きの声が出た。出身は、東京からちょうど100kmに位置する栃木県・鹿沼市。中学でスケボーを始めるも一向に上達せず、そこで知り合った不良の先輩たちの影響で自然と暴走族入り。チーム名は“栃木暴走愚連隊・鹿沼・餐佗魔麗鐚(サンタマリア)”。当時18代目、地元で1番イケイケのチームだった。

土曜の夜に仲間と集まって、夜通しバイクで暴走(はし)り、時に喧嘩もする。そんな少年院一歩手前の無軌道な毎日も、わずか1年で終わる。理由は“つまらなくなったから”。気が付けば、街で不良と喧嘩になりかけても、「餐佗魔麗鐚の山野井だぞ。やめとこうぜ」と相手が避けていくようになっていた。大きすぎるチームの看板に対し、実際は喧嘩も弱くて何者でもない自分。そのジレンマから逃げるように17歳でチームを抜けた。当時を振り返り、「中卒で働いてはいたけど、何か目標や夢を持っているわけでもなくフラフラしていました」と話す。そんなときに出会ったのがダンスだったーー。

「同時期にチームを抜けたA(仮名)が、中学生の頃からダンス甲子園にも出ていたりして、地元では結構有名なダンサーで。ソイツが観せてくれた“MO’PARADISE(1997年結成。N.Y.ヒップホップスタイルを軸に、全国各地のダンスシーンでプロップスを得てきた伝説的チーム)”のビデオに、おもいっきりクラっちゃいました」。彼はそのとき、“絶対にこの人たちは不良に違いない”と確信した。「だったら、元・暴走族でつまはじき者の自分にもチャンスがあるかもしれない。そう思ったんです」。その日その勢いのまま、近所の小学校の体育館横で、Aに教わりながら初めてのダンス練習。これがダンサー“Changyama”のファースト・ステップだった。

A曰く、「“MO’PARADISE”の師匠がBOBBYさんというレジェンドダンサーで、東京でスクールをやっている」という。上京して彼に教わることを夢見て、練習に励む日々。周囲の「なぜ東京? しかもなぜダンス?」という声もどこ吹く風。「とにかくあの格好いい人たちのようにダンスが上手くなりたい」。その一途な思いが身を結ぶのは、20歳を目前に控えた2001年。遂に上京し、BOBBY氏が教える池尻大橋のダンススクールに通い始める。

そこで出会った先輩たちは、黒歴史だと恥じていた過去を“それもひとつの個性“として、ごく自然に受け入れてくれた。人生に無駄なことなんてない。そう感じたChangyamaさんは、より一層ダンスにのめり込んでいく…のだが、周囲を見渡せば、自分よりも優れたライバルだらけ。「俺のことなんて見えていないのかな? ってくらい、空気のような存在だったと思います」。実際なかなか芽は出ず、その精神的ストレスから毎週レッスン前には具合が悪くなる始末。しかし、何事も愚直に励めば自ずと転機は訪れる。

スクール生で組んだチーム“BUBBLS”で出場したダンスコンテストにて、優秀チームに選ばれたのだ。これをキッカケに同門の先輩たちから弟弟子として可愛がってもらえるようになるも、最大の目標だった一流ダンサーへの登竜門的ダンスイベントでの結果が振るわず、チームは残念ながら解散。一歩進んでは、また下がる。

こうしてソロになった彼は、“BUBBLS”の元チームメイトだったKEEPER、BOBBY門下の教え子だったANDREという志を共にする同い年のダンサー2人と、新たなチーム“BIGDOGSS”を結成する。「いつも『こういう音で、こんな感じで踊ったら、めちゃくちゃフレッシュじゃない?』と話しながら、誰もやっていないこと、新たなスタイルを模索していました」。この時、Changyama24歳。その後、EXILE加入前のKEIJIこと黒木啓司も加入。さらにその数年後、同郷のKANE$ THE MOON & LEEGETが合流するのと時同じくして、KEIJIが脱退し、現在と同じく5人編成に。

時代は2000年代初頭。スポーツ的色合いを濃くしていったダンスシーンに中指を立てながら、“カルチャーやファッションも含めて、自分らのスタイルを構築するモノをアウトプットできる集団”を目指した彼らは、思惑通り、ファッション&カルチャーシーンで取り上げられるようになり、その名は一気に全国に広まった。「とはいえ、イケてない連中と一緒にされるのがイヤで距離を置いていたから、ダンスシーンからの評判はイマイチでしたけどね(笑)」。

オンリーワンを標榜し、自身らのスタイルを貫くゆえ、ダンスのメインストリームから遠ざかっていた彼らが再び、シーンに合流する契機を作ったのも、やはりBOBBY氏であった。「“J.S.B Underground(BOBBY氏が日本のダンスシーンを牽引するヒップホップダンサーたちを集結して誕生させたチーム)”のメンバーにフックアップされたことで、それまでとは流れが変わったのを感じました。そして、7年くらい前からは各々がやりたいことをやりつつ、BIGDOGSSとして活動するというスタンスに。そして今に至ります」。

…と、一気呵成に書き連ねてきた00年代TOKYOストリートの証言。滅法面白く、かつ興味深いが、このままではスニーカーについて触れずに終わってしまう恐れもある。というワケで、彼の足跡を追う旅はここで一旦終了。いよいよ本題に移らせてもらうとしよう。

“弘法筆を選ばず”という諺(ことわざ)があるが、ことダンサーの足元にそれは当てはまらない。なぜなら音楽を身体の全てを駆使して表現する彼らにとって、リズムを取り、動きの起点となる足運びは非常に重要。シューズ選びはパフォーマンスにも大きく影響する。もっとも必要とされるのはクッション性だが、ダンスのジャンルによって求められる機能性は変わってくる。ハウスダンサーなら“ソールの滑りの良さ”といった具合。Chanyamaさんはヒップホップ。80年代〜90年代当時、“ニュースクール”と呼ばれたスタイルがベースとなっている。

「俺たちのダンススタイルだと、ツマ先に重心がしっかり乗った方が綺麗なラインが出るので、“トゥが立つ”っていうのが結構重要。なので踊るときは、NIKEの『AIR FORCE1(エア・フォース1)』が多いですね。あれはトゥ部分が硬めだからシワが入ったりせずキレイに立つし、コートを縦横無尽に走り回って跳び跳ねるバスケットボール用なので、力強く踏み込むことも可能。足裏でスキルフルな動きをするのにも向いています」。ただ、難点はその重量。

「そこをクリアしつつ、ファッションとしても完璧なのがAJ1でした」。AJ1=「AIR JORDAN 1」といえば、“バスケットボールの神様”マイケル・ジョーダンの初代シグネチャーモデルにして、“キング・オブ・キックス”とも称される問答無用のクラシック。デビューが1985年なので、ダンススタイル的にも世代ドンズバ・文脈バッチリ。名作バスケ漫画『スラムダンク』の主人公・桜木花道が着用していたことで影響を受けた者も多く、Chanyamaさんもまた然り。

「これは復刻版の中でもオリジナルに近いディテールを備えたOG仕様で、カラーは通称“モカ”。 AJ1だと他に“ブレッド(黒×赤)” と“ロイヤル(黒×青)”も持っていますが、これには思わずひと目惚れ。どうしても欲しくて、各所に手を回してどうにかゲットしました。気に入っているポイントは何よりも配色。ボトムスの裾をアッパーに被せれば黒×白にも見えるし、モノトーンにモカが加わることで、よりシックで落ち着いた大人の雰囲気が味わえます」。普段からミリタリーやワークテイストの服を着ることが多く、この日着用していたカーハートのアウターや、リアルツリーカモのパンツとも好相性。いわゆる“色ハメ”にも抜かりない。

ファッションといえば、BIGDOGSSはショウケースでも基本的に各々が自由な格好で踊る。なぜなのか。「クラブにフラッと遊びにきた感じの格好で、メチャクチャ踊るとか、スゲェ格好いいじゃないですか。結成当初は衣装を揃えていましたが、あるとき、先輩にいわれたんです。『あえてバラバラの衣装で踊った方が各々の個性も出せるし、スタイリッシュだと思う。そういうアプローチもアリなんじゃない?』って。ハッとしました。要は“オンリーワンなスタイルを見つけた方がイイよ”っていうアドバイスだったんですよね」。この言葉はまた、暴走族時代から囚われ続けてきた集合意識から彼を解き放ち、改めてオリジナリティとアイデンテティについて考えるキッカケを与えてくれた。

さて、そんな彼も来年42歳。不惑の年と厄年を順に乗り越え、あの頃の不良少年は、しっかりすっかり大人となった。「年を取って成長していく中で考え方が変わっていくのは当然のことだけど、ベースとなる部分は変えたくないし、変わったと思われたくない。ジイちゃんなっても、AJ1をピンピンの状態で履いていたいし、ヒップホップを聴いて踊っていたい。そのスタンスのまま棺桶に入る。それが理想のラストムーヴ(笑)」。

*  *  *

最後に、今後の展望を聞いた。「プレイヤーとして、まだまだ自分自身のダンススキルを高めていきたいけれど、今はそれ以上に“後進を育てたい”という思いが強くあります。スクールの講師をしている中で溜まっていった、“俺だったら、もっとこうするのに”という想いを形にし、自分らがそう育ってきたように、カルチャーや知識をしっかり身に付けた“スタイルのあるダンサー”を育てる。それが出来たら、きっとダンスシーンがもっと面白くなるんじゃないかなって」。ストリートのDNAは、こうして次の世代へと引き継がれていくのである。

>> スニーカーとヒト。

<取材・文/TOMMY

TOMMY|メンズファッション誌を中心に、ファッションやアイドル、ホビーなどの記事を執筆するライター/編集者。プライベートでは漫画、アニメ、特撮、オカルト、ストリート&駄カルチャー全般を愛する。Twitter

 

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