――山井さんがファッションに興味を持ったのはいつ頃からだったのでしょう。
山井:何をもって「ここ!」というかは難しいですが、幼稚園の頃からいろいろな服を着た女の子の絵をずっと描いていました。それが今のデザインの仕事のベースになっているのかはわかりませんが。小学生になると自分でミシンを踏んで洋服を作っていましたね。
――当時作っていたのは現在のような自然との関わりがテーマになったものではないですよね。
山井:違いますね。私は昔から何か目的があるもの、説明ができるものじゃないと納得できない性分です。当時から私にとっては音楽や芸術など文化を知るきっかけがファッションでした。そしていろいろな文化を知ることで、どんどんファッションにのめり込んでいったんです。
私にとってファッションはカルチャーを感じる “手段”。逆に言えばファッション自体にカルチャーを見出せずにいました。そのことで悩んだ時期もありましたが、「自分はカルチャーを落とし込んだファッションではなく、ファッションの先にあるカルチャーが好き」ということに気付いて。そして自分のもっとも身近にあった “アウトドア” というカルチャーを発信しているスノーピークに入社したいと思ったんです。
――それで社長と話をして入社……という流れだったのですね。
山井:いえ。スノーピークの募集案内を見つけて、履歴書を書き、自分のポートフォリオを作って面接を受けるという、一般的な段取りを踏んで採用していただきました(笑)。
――驚きですね! 当時のスノーピークではすでに自社でアパレルを展開する予定があったのでしょうか?
山井:2011年に久しぶりにキャンプに出かけたとき、ファッションに傾倒していた私はキャンプ場に着ていける洋服をまったく持っていませんでした。周りを見渡しても「これ!」というものが全然見つからない。この経験から入社したらファッション感度の高い人がなんの隔たりもなく着れてキャンプに行けるような洋服を作りたいと考えていました。
社長が26歳で入社したとき、スノーピークは登山用品を作っていました。そこから新規事業でオートキャンプを立ち上げた経緯もありました。社長自身、自分が生み出すものに対して先代は口出しせず自由にやらせてくれたというのもあると思うので、本当に怖いくらい何も言われないです。「そうか、どうぞどうぞ」って(笑)。
――「どうぞどうぞ」ですか。すごい(笑)。まったく新しいアパレルの立ち上げはかなり大変だったのではないでしょうか。
山井:立ち上げ時はポートランドにある『nau』とのコラボレーションと並行して2014年秋冬シーズンのデザインや生地選びなどを行っていたのでかなり大変でしたね。営業担当もいませんから自分でサンプルを担いでいろんなところを回りました。
最初に展示会を行ったのはニューヨークのCapsule Show(メンズファッションの合同展示会)でした。そこでたまたまピルグリム サーフ+サプライやスティーブンアランのバイヤーの目に留まり、そこでの取り扱いが始まってから、多くのご連絡をいただけるようになったんです。
――スノーピークはアウトドアブランドとしての確固たる地位を築いています。ブランド自身にファンも多いですよね。
山井:ギアからスノーピークを好きになられた方々に、アパレルも手に取ってもらうことももちろんですが、私の使命はファッションからスノーピークを知っていただき、そこからギアを手にしてキャンプを楽しむ人を増やすことだと感じています。
私と同じように既存のアウトドアファッションに満足できなかったけれど、スノーピークは好き。そしてスノーピークのアパレルを手にしたことがキャンプ文化に触れるきっかけになる。このような形で広がっていったら嬉しいですね。
とくに私と同世代で都市に生活の比重を置いている人にアウトドアを楽しんでみたいと感じてもらえるようなアプローチを続けていきたいと思っています。
――アパレルが立ち上がってからそのような人が増えてきた実感はありますか?
山井:もちろんまだまだこれからですね。スノーピークとして伝えるべきことは自然と触れ合う楽しさと同時にプロダクトの品質があります。
ネガティブな意見になりますが、後者は若い人にはなかなか浸透しづらいなとは感じています。キャンプを楽しむ手段だったり、大きなキャンプ用品を保管しておく場所を確保することは首都圏でひとり暮らしをしている人だと難しいですからね。
一方で、質のいいギアを手にしてキャンプしたほうが楽しく快適な時間を味わえる、という考えは着実に広がってきているとも感じています。私は音楽が好きでフジロックなどにも足を運びますが、スノーピークの製品を使ってくださっている方々は年々増えていますからね。