【1997年】銀パソブームを生んだ国内向けPC「VAIO NOTE 505」
市場にノートPCが登場しだしたのは、1980年代半ばのこと。それを思えば、1990年代後半に発売されたVAIOは比較的後発のブランド。当時のソニーとしては、PC市場に数年ぶりの再参入するための勝負所でした。
まず1996年に「PCV-90」という機種がアメリカで先行発売され、翌1997年には日本市場向けにノートPC「VAIO NOTE(PCG-707/PCG-505)」を発売。少し遅れてタワー型デスクトップPC「バイオ ミニタワー(PCV-T700MR)」も発売されました。
なかでも、この時に登場したB5サイズの「VAIO NOTE(PCG-505)」は大ヒットに。ノートPCのボディ全体にマグネシウム合金を世界で初めて採用した機種でもあり、日本における後の「銀パソ」ブームを生むきっかけとなりました。
そもそも「VAIO」というブランド名は、「Video Audio Integrated Operation」の頭文字を取って命名されたもの。当時としては珍しい、“個人のクリエイティブな用途”を狙った機材というコンセプトも特徴的でした。
「ブランド立ち上げの当時は、私たちもまだ若く、企画の部分に深く絡んでいたわけではないので正確にはわかりませんが、当時の時代背景としては、ちょうどOSがWindows 3.xから95になるというタイミングでした。これを踏まえて、個人がPCを使って動画編集をしたり、オーディオを楽しんだりするような需要を、方向性として見込んでいたのだと思います。実際、当時のPCは、WordやPowerPointなどのOfficeソフトをプリインストールして販売されることが主流でしたが、VAIOは発売してからしばらくの間、Officeを搭載しておらず、エンターテインメント関連機能を充実させていました」(巢山氏)
なお、初期のVAIOシリーズでは、淡い紫色のカラーが象徴的です。例えば「バイオ ミニタワー(PCV-T700MR)」を見てみると、本体もモニターも同系色で整えられているのがわかります。こうしたデザイン面の要素は、シリーズのアイデンティティとして、いまなお受け継がれているとのこと。
「ソニー時代から、やはり製品のデザインには、ずっとこだわってきています。例えば、『VAIO』のロゴって、実は当初からずっと変わっていないんですよ。このロゴは、PlayStation®のデザインなども手がけたスターデザイナー後藤禎祐(ごとうていゆう)さんがデザインしたものなんです」(黒崎氏)
【1998年】CCDカメラが付いた「VAIO C1」
翌年の1998年に発売されたミニノート「VAIO C1(PCG-C1)」も、VAIOの歴史を語るうえで外せない一台でしょう。同機は、(1)コンパクトな筐体、と(2)内蔵したCCDカメラの2点でユニークでした。
「キーボードのサイズは、人間の手のサイズに左右されるわけですので、自動的に使いやすい限界というのは決まります。“じゃあキーボードが入るギリギリのサイズで、PCを創ってみようよ”というのが、設計思想としてありました」(黒崎氏)
「前年に発売された『VAIO NOTE 505(PCG-505)』でも、マグネシウム合金を取り入れていたように、先駆的に素材にこだわってきたこともVAIOの伝統だと思います。マグネシウム合金というのは、今でこそ多くの機種で採用されていますが、当時はPC筐体のような複雑な形状に成型できる素材ではありませんでしたからね。デザインに関しては、このマグネシウム合金の筐体を、さらに2色で仕上げるというのが、『VAIO C1』でのチャレンジでした。これがスプレーで塗るとか簡単な工程ではなくて、焼き付けが必要で難しかったのです」(巢山氏)
また、「VAIO C1」では、「MOTION EYE(モーション・アイ)」というCCDカメラが搭載されたことが大きなトピックでした。CCDカメラとは、イメージセンサーに「Charge Coupled Device(電荷結合素子)」を使ったカメラのことです。
時代背景を考えてみると、カメラを搭載した携帯電話(PHS)が登場したのが1年後の1999年だったので、ノートPCに搭載される方が早かったわけです。
「今でこそノートPCにWebカメラが付いているのは当たり前ですが、当時はカメラがついているPCはほとんどありませんでした」(黒崎氏)
「この2〜3年前に、やっと一般向けに“デジタルカメラ”が登場してきたくらいのタイミングでしたが、CCDの実績のあるソニーのハンディカム部隊の協力も得ることができました」(巢山氏)