「あのカウンタックが復活した!」
そんな話題を耳にした記憶をお持ちの方は多いはずだが、たとえもし、あなたがそれを知らなくとも大した問題ではない。もうそれは遡ること3年前のことであるし、それは112台が約200万ユーロ(約3.12億円)~で発売されることが発表されると同時に完売。2022年から製造が開始され、世界の富豪のガレージへと人知れず滑り込んでいったのだ。
一説によれば日本には20台ほどがデリバリーされたと言われるが、イベントなどで稀に見かける機会こそあれど、街中で遭遇する確率は皆無に近い。多くのオーナー氏はそれを見せびらかそうなんてつゆにも思っていないはずで、究極の自己満足として、ガレージに佇む1/112台を眺めてひとり悦に入るのだろう。
カウンタックと言えば、1970年代後半に少年時代を過ごした方ならば、クルマに興味がなくともご存じのはず。イタリアのランボルギーニ社が1971年にプロトタイプを発表、1974年に市販モデルを発売したスーパーカーである。
他の何物にも似ない楔形の直線基調のボディ、垂直方向に開くドア、当時は“隠しライト”などと言われたリトラクタブル式ヘッドライト、12気筒の3.9リッターエンジンを車体中央に積んだミッドシップ構造……まさに未来のクルマとでも言うべき存在で、それはクルマというよりも“ヒーロー”だった。
ランボルギーニは創業が1963年ながら、1966年にはミウラを発表して、世界中のクルマ好きの衆目を集め、その後継車であるカウンタックを発売した時点で、少なくともロードカーの世界においては、1947年創業の名門フェラーリと肩を並べる知名度と人気を誇ることになる。
日本中を席巻したスーパーカーブームが去った後も、カウンタックは1990年まで生産が行われる長寿車ともなったが、その裏にはランボルギーニ社の経営基盤が安定せず、フルモデルチェンジできないという、やむにやまれぬ事情もあった。
華やかなデビュー当初、スーパーカーブームでもてはやされた時期とは打って変わって、カウンタックの晩年は何とか生き延びている、苦悶するランボルギーニ社の姿を映す鏡のような存在とも言えた。現在のランボルギーニ社はフォルクスワーゲン・グループ傘下にあり盤石なこともあり、車両のクオリティ自体も高い。
そんな偉大なるアイコンに敬意を示して、ランボルギーニ社は、スイスはジュネーブショーに於いて初代のプロトタイプが発表されてから半世紀が経過した2021年夏に、カウンタックの復活をアナウンスした。しかし、それは“記念式典”のようなもので、誰でも買えるような量産モデルとしてではなく、限定車としてのリリース。台数は初代カウンタックの社内呼称のLP112に合わせて112台と極く僅かで、生まれながらにしてコレクターズカーとなることが運命付けられていた。
メカニズムは、ランボルギーニ初のハイブリッドカー、シアンFKP37のそれを踏襲しながら、エクステリアは初代カウンタックをモチーフにしたというよりも“昇華”させた、コピーではない次元の高いデザインが与えられた。ドア開き方から全体のシェイプ、サイドのエアインテーク、テールライトなどに“初代カウンタックの薫り”を漂わせながら、回顧主義に陥らない巧みさがそこにはあった。
【次ページ】全長11cmの中に正確無比なプロポーションとディテールを封じ込める▶
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