独自に生み出した角膜レンズが認められるようになってからも、恭一の研究心は収まりません。
「最初に素材として選んだ風防ガラスは旋盤で削ると匂いがするので、不純物があると直感的に思ったそうです。直接目に入れるものなので安全な素材にしたいと、素材から開発をすることになりました。人間にとって最も安全な素材は何かと探し、専門知識がないなりに研究を続けて、酸素を通すプラスチックを自分で調合していきました」
素材作りまで自分で手掛けてしまう恭一の飽くなき探究心は、大きくなっていくコンタクトレンズ市場に新たな風を吹かせます。
1958年に名古屋駅前の毎日ビルにクリニックを設立し、患者のニーズを汲み取りながら、臨床研究を続けます。73年には日本初のソフトコンタクトレンズ「メニコンソフト」を発売。そして79年には、こちらも日本初の酸素を通すコンタクトレンズ「メニコンO2」を発売します。
しかし、その品質へのこだわりが裏目に出てしまったこともありました。
「90年代に使い捨てコンタクトレンズがアメリカから入ってきた時、1週間ほどで捨てることを前提にした素材は当社の品質基準にはそぐわないものでした。“100%の品質のものを作る” という強いこだわりがある当社は、使い捨てタイプは “メニコンレベルじゃない” と開発着手が遅れてしまったんです」
しかし、出遅れたものの、一旦研究を始めたらやはり独自路線。2016年12月1日に発売された最新製品「1DAYメニコン プレミオ」には、独自の技術がたくさん詰まっています。
「 “スマートタッチ” という独自のパッケージは、安全性にこだわり、清潔に装着できるように、開けたときに角膜にふれる面を触らず装着できるようになっています。シリコーンハイドロゲル素材で、裸眼時の97%の酸素を瞳に送れるほどの高い酸素透過性も誇ります」
満を持して発売された新製品だけあり、さすがのクオリティです。
「現在は2代目の社長となっておりますが、“人真似をしない” という創業当時からの企業理念は、やはり今も社風として受け継がれています」と広報の城戸さんが話す通り、メニコン独自のものとは何かを追求する姿勢とアイデンティティは、今も健在なようです!
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(取材・文/明知真理子)
あけちまりこ/ライター
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。雑誌・ウェブ等で幅広く活躍し、寝る間もないほど売れっ子(になりたいと思っている)。趣味で株式投資をしており、日経平均が下がると表情がやや曇ります。映画と旅行とプロレスが好き。