こうして、ff-1をベースとする4WD車が完成。数台の試作車が作られ、東北電力へと納入されました。そして、その性能の高さに注目した長野県の白馬村役場、飯山農協、そして、防衛庁(現・防衛省)からも注文が入ったそうです。
「最初の半年で4台の試作車が作られ、追って7台を製作したので、計11台のff-1 1300Gバン4WDが作られました。最初のお客さまである東北電力には5台を納入しています。もちろん、性能や快適性をとても高く評価していただいたそうで、それまで使っていたミリタリー系の4WD車に乗る方は、徐々にいらっしゃらなくなった、という話も伺いました」(大竹さん)
試作車の開発を依頼した東北電力はともかく、当初の顧客となった官公庁やそれに準じた団体は、いかにしてff-1 4WDの存在を知ったのでしょうか? また、どうして一般ユーザーからはオーダーが入らなかったのか?…、という疑問も湧いてきます。
「ff-1 1300G 4WDは東京モーターショーでデビューしましたが、実は展示されたのが商用車館だったのです(苦笑)。役場や省庁の方々はそういった会場もチェックされていますから『東北電力に収めるならウチにも』という話になったようです。しかし一般の方にとっては、まだまだ知られざる存在でした。また、ff-1はすでにモデル末期を迎えていたので、正式なカタログモデルにはなりませんでした。もちろんその頃には、間もなく登場する初代レオーネに4WD車の設定が決まっていましたから、あくまで“試作車”という枠にとどめたようです」(大竹さん)
とはいえ、富士重工業の開発陣や関係者は、乗用車ベースの4WD車に確かな需要があることを確信するに至ったそうです。
「雪でも出掛ける必要のある職種、例えば、東京電力さんや電電公社さん、あとは、お医者さんやお坊さんでしょうか。こうしたお仕事の方には、早くから4WDやスバル車の価値を認めていただくことができました」(大竹さん)
その後、1971年にデビューしたレオーネですが、翌年には4WD車を量産モデルとして追加設定。その類い稀な走破力と快適性は、じわりじわりと一般ユーザーにも浸透することになります。時は折しも高度経済成長まっただ中。降雪地や山岳地帯のユーザーだけでなく、スキーなどのウインタースポーツを楽しむ人々からも“レジャービークル”として高い評価を得ることになったのです。
今でこそ“スバル=AWD”というイメージが確立されていますが、大竹さんと芝波田さんによると、そこに至るまでの苦労や苦悩は少なくなかったことは間違いないようです。しかしながら、例え少量生産の試作車や需要未知数の実験的モデルであっても、ヨーロッパの某メーカーさながらの“最善か無か”を追求するスバルの姿勢と挑戦する姿勢が、今日の絶大な信頼を生んだのは間違いないでしょう。そして、スバルのモノづくりに対するそうしたコダワリは、現在もなお継承されている、とおふたりは胸を張ります。
「現在のスバル車も、信頼性と快適性は走り込んで作り上げる、というポリシーに変わりはありません。これは百瀬晋六さんの信条ですが、今の開発チームにもしっかり受け継がれており、工場の製造ラインに流れる直前まで、試験や改良を重ねます。1台当たり数万キロの走行テストを、数十台で実施する、なんてことも珍しくはないんです」(大竹さん)
「確かに、スバル=4WDという印象を抱かれる方は多いですし、雪道で使われる方も多いでしょう。なので我々は、オプションとして設定される純正のスノーチェーンを装着した状態での車両制御までテストしているんです。また、チェーンを夏用タイヤに装着した状態、後輪に装着した場合なども検証しているほか、チェーンのコマ数やピッチによる挙動の違いなどもチェックしています。想定されるあらゆる状況をくまなく検証し、製品にしっかり反映する。スバルはそれをやるからこそ、ユーザーの皆さまから信頼を得られている、受け入れていただいている、と思っています。こうしたクルマづくりにおけるこだわりは、これからも変わらないでしょうね」(芝波田さん)
(文/村田尚之 写真/村田尚之、富士重工業)
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