【クルマ初モノ図鑑④】安全装備~ブレーキ機能向上時代から自動制御へと進化

■日本初のユニサーボブレーキ ~ダットサンブルーバード(1959年)

クルマを減速、停止させたいときはブレーキを踏みますよね。私たちは運転するとき、ごく普通の力でブレーキペダルを踏んでいますが、考えてみれば高速で動いていている数百kg~1t以上ある物体を止めるというのは並大抵の力ではできまません。昔のクルマはブレーキがとても重く、運転するのがとても大変だったそうです。ブルーバードは前輪に軽い力でも強力な制動力を発揮するユニサーボブレーキを採用。これにより、女性でも楽に運転できるようになりました。

 

■日本初の4輪ディスクブレーキ ~トヨタ2000GT(1967年)

言わずと知れた日本のスーパーカーで、その希少性から現在では天文学的な価格で取引されているトヨタ2000GT。日本初のリトラクタブルヘッドライト、日本初の4輪ダブルウィッシュボーンサスペンション、トヨタ初の直6DOHCエンジンなど、先進技術が惜しみなく投入されています。4輪ディスクブレーキもそのひとつ。そして軽い踏力で大きな制動力を生み出すために、ブレーキブースターが取り付けられています。これによりフェード現象が起こりづらくなったと同時に安定性も向上。世界の高性能GTカーと肩を並べる存在になりました。

 

■日本初のABS ~日産プレジデント(1971年)

ブレーキペダルを強く踏んで急ブレーキをかけるとタイヤがロック。すると制動力がなくなると同時にハンドル操作も利かなくなるのはご存知の通り。ブレーキロックを防ぐポンピングブレーキを教習所で習ったと思いますが、それを自動で高速に行う機構がアンチロックブレーキシステム(ABS)です。ABSはもともと鉄道でのブレーキ制御や航空機でタイヤのバーストを防ぐために開発された技術。それをもとに1960年代後半に開発され、'71年、日産プレジデントに初搭載されました。ただし今のような四輪制御は技術的に難しく、後輪2輪のみ制御するものだったそう。そのため、ブレーキ制御はできても前輪がロックしてしまい、操舵性を確保するのは難しかったと言います。

 

■テンパータイヤを初搭載 ~日産スカイライン(1981年)

トラックやクロカン四駆は、万が一タイヤがパンクした際のスペアタイヤとして4輪に装着しているものと同じタイヤが装備されています。一方乗用車では、トランク下などに細くて小さいタイヤが入っていましたね。これがテンパー(一時的な)タイヤです。テンパータイヤが初搭載されたのは、'81年にデビューしたR30スカイラインのハッチバックから。その後急速に普及しましたが、逆に現在では搭載しているクルマは少なく、万が一パンクしても修理工場までの距離を走れるように設計されたランフラットタイヤを履いたり、パンク修理材を搭載したりしているクルマが増えています。なお、パンク修理材には使用期限があるので、期限が過ぎていないか確認するのを忘れずに。

 

■国産初のSRSエアバッグシステムを採用 ~ホンダレジェンド(1987年)

衝突事故の際、一気に膨らんで乗員の衝撃をやわらげるエアバッグシステム。現在では前席のほか、サイドエアバッグ、ニーエアバッグなどさまざまな場所に搭載されています。このエアバッグを日本で初搭載したのが'87年にマイナーチェンジしたホンダレジェンド。このときは運転席のみの装着で、約16km/h以上の衝撃が加わると約0.03秒でバッグを膨張させ、ドライバーの顔面への衝撃をやわらげるものです。当時のプレスリリースにはその仕組みや作動の仕方が詳細に書かれています。あわせて、SRSエアバッグはシートベルトの補助装置であることもきちんと明記されています。レジェントはその後、'90年のフルモデルチェンジ時には助手席エアバッグを日本初搭載しています。

【次ページ】時代は進みクルコンや安全システムが登場

この記事のタイトルとURLをコピーする