ロードスターだけじゃない!名車アタリ年「1989年」を振り返る

■日産スカイラインGT-R ~レースで勝つためにGT-Rの冠が復活

ハコスカ、そしてケンメリ。第一世代と呼ばれるスカイラインGT-Rの歴史に幕が下ろされ、そして第二世代GT-Rの歴史がスタートするまでに16年の歳月がかかりました。途中、スポーツ性能を高めてグレード名に“R”がついたスカイラインは登場するものの(R30のターボRSなど)、GT-Rの称号は与えられませんでした。

1989年8月、16年ぶりに復活したBNR32型スカイラインGT-Rは、当時の日産が展開していた「901運動」(90年代までに技術で世界一を目指すというクルマづくりの目標)の集大成となったモデルです。搭載される2.6L直6ツインターボエンジン「RB26DETT」は当時の自主規制いっぱいの最高出力280psを発生。最大トルクは36.0kg-mを発生します。しかしこの数値はあくまで自主規制があったために抑えられたもの。ライトチューンを施すだけで400ps、さらにチューンすればそれ以上の数値を出します。

駆動方式は電子制御トルクスプリット4WDシステム「ATTESA(アテーサ)E-TS」で、FRならではのコーナリング性能と4WDの安定性を両立。そして足回りには電子制御四輪操舵機構「SUPER HICAS」が組み込まれました。

R32GT-Rの電子制御は後のR33、R34に比べるとまだ未成熟で、コーナーを本気で攻めるとクルマがかなり暴れます。筆者が某誌の企画でドリキンことレーシングドライバーの土屋圭市選手に第二世代GT-Rのインプレッションを依頼したとき、「R34は優等生だがR32はじゃじゃ馬。でもコーナーで暴れるのを強引にねじ伏せた先にある速さと楽しさが格別」と話していたのが、今でも忘れられません。

そしてR32GT-Rで忘れてならないのはレースシーンでの活躍です。中でも全日本ツーリングカー選手権(グループA)での活躍は今でもレースファンの語り草になっています。R32GT-Rは'90年からグループAに参戦。開幕戦の西日本サーキットで、前年まで圧倒的な強さを誇ったフォードシエラを周回遅れにして1-2フィニッシュ。以来、'93年まで29戦連続優勝を記録。グループAはGT-R同士のバトルを見るレースになり、どのサーキットも超満員になりました。

R32GT-Rがデビューしてから25年経った2014年。アメリカの「25年ルール」(製造から25年以上経過したクルマは排ガス検査なしでアメリカに輸入できるというクラシックカー登録制度)の対象になった途端に日本の中古車が海外に流出。2017年9月現在、国内での中古車流通量は約100台と、かなり台数が少なくなっています。中古車相場は車両状態によりピンキリ。ガレージ保管されていた低走行車には600万円を超える値が付けられています。

【次ページ】世界のプレミアムカーに肩を並べた初の国産車

この記事のタイトルとURLをコピーする