■パワー競争にブレーキをかけるため自主規制が誕生
1980年代は国産メーカーが自車のパワーを高めてライバルに差を付けるパワー競争が激化していました。これにより排気量が2Lを超えるエンジンを搭載するモデルは300馬力を達成するものも登場。
一方で世の中は第二次交通戦争の真っ只中。交通事故者の増加や若者の暴走行為など、深刻な社会問題に対処するため、当時の運輸相が日本自動車工業会(自工会)に馬力規制を要請します。これにより'89年に最高出力300馬力で登場するはずだった日産フェアレディZ(Z32)の出力が280馬力に抑えられることに。以降、他のメーカーも最高出力を280馬力に抑えることになりました。
この自主規制は登録車(普通車)だけでなく、軽自動車でも行われました。'80年代の軽自動車は排気量が550ccだったこともあり、スポーツモデルでも最高出力は50馬力程度でした。ところが'87年2月、スズキが軽ボンネットバンのアルトに3気筒4バルブDOHCインタークーラーターボエンジンを搭載したアルトワークスを発売。最高出力は一気に64馬力に達したのです。そしてこのアルトワークスの登場が軽自動車の馬力規制の発端となりました。自主規制が64馬力という中途半端な数値になっているのは、このアルトワークスの最高出力が上限に設定されたからなのです。
■64馬力に思いを馳せる。今こそ乗りたい'80~'90年代の軽スポーツたち
▼スズキアルトワークス(1987年~)-64馬力自主規制を生んだホットハッチ
ボンネットのエアインテークと大型のフォグランプが強烈な印象を与える初代アルトワークス。前述したとおり、このクルマの登場が軽自動車64馬力規制の発端となります。この伝説だけでも、手に入れる価値は十分!
しかしこの伝説にも裏話があります。実はスズキは当初、アルトワークスに搭載するエンジン(F5A)を78馬力で開発していたというのです。現在と比べると当時の軽自動車は驚くほど軽く、ターボモデルでも600kg前後です。そこにこれだけのハイパワーエンジンを搭載したらいったいどれほどの走りを見せるのか…。さすがに運輸省も「ちょっと待ちなさい!」と言わざるをえなかったのです。
初代アルトワークスはデビューすると同時に当時の若い走り屋から絶大な支持を受けることに。そしてサーキットやラリーなど、モータースポーツシーンでも活躍します。
現在流通している中古車は極めて少ないですが、あの時の伝説を手に入れたいなら根気よく探してみましょう!
▼ダイハツミラ(1990年~)-ワークスのライバル、TR-XX
そもそもスズキがアルトワークスを開発したのは、ダイハツミラの存在が大きかったと言われています。1980年代の若者は免許を取ったら軽自動車で走りを楽しんでいました。当時人気だったのはダイハツミラに設定されたTR-XX。アルトにもターボ車はありましたが、イマイチぱっとしなかったそうです。そしてスズキはTR-XXを破るためにワークスを投入したのです。
もちろんダイハツはこの状況を指をくわえて見ていたわけではありません。'90年にフルモデルチェンジしたミラに、走りのモデルを複数投入しました。先代から続くTR-XXはアルトワークスと同じ自主規制いっぱいの64馬力に。さらに翌年にはTR-XXの装備をより豪華にしたTR-XXアバンツァートを投入。
また、ラリーやダートトライアルなどのモータースポーツシーンを見据えた4WDモデル、X4もラインナップに加えました。さらにX4は'91年、X4をベースにクロスミッション、装備の簡素化などで軽量化したX4-Rを投入。「X4」のネーミングはミラ以降もストーリアやブーンに使われており、ダイハツのラリー参戦車両の代名詞となっています。
この時代のミラのスポーツグレードも中古車流通量は極めて少なくなっています。欲しい人は根気よく探してください。