■日本人の写真好きが育んだ銘機&名サービス
誰もが気軽にスマートフォンで写真を撮り、ネット上に公開したり、友人や家族などに写真を送るようになった。だが、1986年に富士フイルムの「フジカラー Super HR 100 写ルンです」が発売されるまでは、誰もが気軽に写真を撮れるわけではなかった。写真を撮るには、それなりのカメラが必要だったからだ。「写ルンです」は、観光地の売店やコンビニで1000円前後で購入でき、普段は写真を撮ることを意識していない人も、撮りたいと思った時に写真を撮れるようにした。
一般的に「プリクラ」と呼ばれるプリントシール機がはじめてゲームセンターに置かれたのは1995年のこと。最初期の「プリント倶楽部」は、顔写真をカワイイ背景やフレームと合成するだけのシンプルなものだった。それが2000年には、撮った顔写真を“盛れる”ようになり、その後は目を大きくしたり、実際よりも細身の顔にしたりと加工機能が充実。プリントの画素数も320×240ドットだったのが、600dpi、1200dpiと高解像度化する。これらは、主に女子高生の間で流行り、友だちなどと撮っては、数少ないシールをシェアするようになった。
同時期の1998年にはインスタントカメラの「インスタックスミニ10」を、富士フイルムが発売。シャッターを切ってから少し待つと、撮った像が名刺よりもひと回り小さい46×62mmのフィルムにじわじわと現れる。同じ写真が2度とプリントできないから、1枚1枚の希少性が高まるのだ。そんなプレミアム感により、結婚式や二次会での必需品にもなった。
携帯電話が行き渡り、デジタルカメラが普及しはじめた2000年には、写メール対応のカメラ付き携帯電話「K-SH04」をJ-PHONEが発売。搭載されたセンサーは約11万画素だったが、友人との写真共有には十分。カメラ内蔵の携帯電話と写メールと同種のサービスは、他キャリアからも続々と発売されることになる。
日常的に写真を撮り、写真をシェアしたいというユーザーの要望が先だったのか、もしくはメーカーの提案が先だったのかは分からない。だが、こうした文化が、日本人の感性にフィットしたことは間違いない。レンズ付フィルム、インスタックスミニ、プリクラ、今ではスマートフォンとなった内蔵のカメラ、いずれも健在だ。今後、それぞれがどう混じり合い、写真の楽しみ方を増やしてくれるのかに期待したい。
本記事の内容はGoodsPress11月号50ページに掲載されています
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(取材・文/河原塚 英信 写真/湯浅立志<Y2>)
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