そのロスマンズカラーを初めてまとった市販車は1985年に発売された「NS400R」。前年まで2連覇を達成していたワークスレーサー「NS500」の技術をフィードバックしたマシンで、2ストV型3気筒の400ccエンジンを搭載し、最高出力こそ当時の自主規制上限値である59psでしたが、圧倒的な加速力を持つモンスターでした。
続く1986年には250ccの「NS250R」にもスペシャルエディションとしてロスマンズカラーが登場します。ただ、このカラーはロスマンズの文字は入っているものの、ホワイト基調でワークスチームのブルーを基調としたカラーとはイメージが違ったためか、爆発的な人気とはなりませんでした。
1987年には4スト400ccクラスの「VFR400R」にもロスマンズカラーのマシンが登場します。ロスマンズ・ホンダは世界耐久選手権にも参戦していたので、こちらはそのワークスマシン「RVF750」のレプリカカラーですね。
ロスマンズカラーに速さの象徴のようなイメージを焼き付けたのは1988年式(通称“ハチハチ”)の「NSR250R SP」でしょう。その名の通り、市販車で競われたSPレース仕様にだけ用意されたカラーリングで、市販車としては世界初となるマグネシウムホイールを装備していたことも憧れの要因でした。今でも「NSRで一番速かったのはハチハチ」と言われるくらいの伝説的なマシンとともに、ロスマンズカラーはバイクファンの記憶に刻まれることになります。
その後もロスマンズカラーはNSRのSP仕様のものとして定着し、1991年に登場したMC21型、1993年にプロアームを装備したMC28型にもこのカラーが用意されていました。SP仕様のみに設定されたということも、乾式クラッチのカラカラという音とともに当時の走り屋たちの心を掴んだ要因でしょう。
実はこのカラー、50ccクラスのレプリカマシン「NSR50」にも設定されていました。当時は50ccクラスのミニバイクレースも盛んで、このクラスにもレプリカマシンが揃っていた時代。なかでも「NSR50」は“最速”と言われたモデルで、ロスマンズカラーは峠小僧たちの憧れの的でした。
NSRのSP仕様といえばロスマンズカラーというイメージがありますが、例外だったのが1989年式。この年式だけは“TERAカラー”(あるいは“銀テラ”)と呼ばれるカラーでした。これは世界GP 250ccクラスのアジノモト・ホンダ・レーシングチームに参戦していた清水雅広選手のレプリカカラー。当時、味の素が販売していたスポーツドリンクのカラーなのですが、筆者は友人が乗っていたのでNSRのほうは覚えていますが、飲み物のほうは見た記憶がありません…。
1995年からは、ホンダ ワークスチームのスポンサーが、スペインの石油会社レプソル(REPSOL)に変わります。エースライダーは1994年から1998年まで5連覇を達成するミック・ドゥーハン。
それに伴い、NSRのSP仕様もこのカラーリングになります。この年式は最高出力が40psに下げられていましたが、市販車では世界初となるカードキーを採用していたことが話題でした。