■1985年、伝説が始まる
まずはマイケル・ジョーダン(以降MJ)が歩んできた栄光のヒストリーを、彼の足元を支え続けてきた歴代AJと共にプレイバック。
その歴史の出発点は1984年。米国の名門ノースカロライナ大学を卒業し、NBAドラフトでシカゴ・ブルズに全体3位で指名された彼は、プロ・バスケットボール選手の仲間入りを果たすやいなや、早速、ロサンゼルス五輪にアメリカ代表チームの一員として参加して頭角を現す。
翌1985年、入団1年目にして、レギュラーの座を射止めたこの超大型ルーキーに対して、ナイキはシグネチャーシューズを開発する。“まるで空中を歩いているかのよう” と喩えられるほど、対空時間の長い超人的ジャンプ力を誇る彼に相応しく、当時最先端の “エアクッション” が搭載された。そのモデルの名は「エアジョーダン(以降AJ)1」。伝説的シリーズの幕開けである。
当時は白以外のシューズがNBA規定で認められていなかった中、罰金を払ってでも黒×赤のチームカラーをまとったAJ1を履き続けるMJ。その反骨精神と1試合で63得点を記録するなどの活躍もあって、同モデルは大ヒット作となった。
2年後の1987年、チームの得点王となった彼の2代目シグネチャー「AJ2」がデビュー。先シーズンを怪我で泣かされたことを受けて、クッショニングとアンクルサポートを強化。高級志向のデザイン&唯一のイタリア製という異色のモデルとしても知られる。
続く1988年は、ナイキにとってMJの去就を賭けた年となる。AJのデザイナーが、これまでのピーター・ムーアから変わることで移籍話が持ち上がったのだ。
新たにバトンを託されたティンカー・ハットフィールドは、最新技術〝ビジブルエア”を搭載した3/4カットの「AJ3」を開発。その天才的クリエイティビティはMJを魅了し、契約更新と相なった。1989年には先進素材を使用した「AJ4」が登場。こうして“ジョーダン”は次なるフェーズへと移行する。
■ジョーダン伝説の幕開けを告げる“キング・オブ・バッシュ”
「AIR JORDAN 1」(1985年)
MJ初のシグネチャーモデル。黒×赤の通称 “ブルズカラー” がNBAから規約違反を告げられるも、ナイキが罰金を肩代わりして試合で着用させ続けたという話は、あまりにも有名。カラバリはオリジナル版でも20色以上存在。「近年はミッドやローカットも人気です」(KICKS LAB. 柿沼さん)。キックスラボ販売価格:7万8980円(NIKE AIRJORDAN 1 RETRO HIGHOG【ROYAL】)
■スウッシュが姿を消したイタリアンメイドの2代目
「AIR JORDAN 2」(1986年)
イタリアンメイドで高級路線へとシフトしたシリーズ第2弾。ナイキの象徴であるスウッシュを排し、ウィングロゴを目立つシュータンに配置。19世紀の女性用ブーツから着想を得たという流線的でミニマルなフォルムが、初期シリーズのなかでも一際、異彩を放っている。
■3/4カット&ビジブルエアジャンプマンと要素山盛り
「AIR JORDAN 3」(1988年)
MJ自身の要望を受けた3/4カットのフォルムに、「エア マックス」で初搭載されたビジブルエアを採用。さらにウィングロゴに替わってジャンプマンマークが登場。「オリジナル仕様のディテールが人気です」(KICKS LAB. 柿沼さん)。後のシリーズに欠かせない要素が凝縮された名作だ。キックスラボ販売価格:4万7080円(NIKE AIR JORDAN3 RETRO OG【 BLACK CEMENT】)
■先進的マテリアルを大胆に採用。 “FLIGHT” を冠する第4世代
「AIR JORDAN 4」(1989年)
引き続き3/4カットを採用。柔軟かつ耐久性に優れたプラスチックラバーやTPUを用いたパーツが、随所に配備された次世代モデル。シュータンには、軽量ハイスペックを示す“FLIGHT”の文字が。「この辺りまではシニア世代でも探している方が多いですね」(KICKS LAB. 柿沼さん)。キックスラボ販売価格:4万5980円(NIKE AIR JORDAN 4 RETRO【BRED】)