カブの“スーパー”な歴史を振り返る【いいね!スーパーカブ】

【いいね!スーパーカブ】

60年以上前に、今でいう「ワークライフバランス」を実現していたのがスーパーカブ。この世界一優秀なバイクが生活圏内で当たり前に走っている凄さと幸せを噛みしめながら、カブの“スーパー”な歴史を紐解いていく。

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Honda初のオリジナル製品である「A型自転車用補助エンジン」が世に出たのは、1947年のこと。その後、次なるビジョンを模索する中、創業者・本田宗一郎がたどり着いたのが「より大衆に寄り添うバイクを作らなくてはならない」という結論だった。

悪路に適した馬力、女性でも取り回せるサイズ、クラッチレバーを廃した片手で扱えるシステム、そして、飽きないデザイン。当時の製造現場では実現不可能と思われる要素もあったが、全てをクリアして'58年に誕生したのが、スーパーカブの記念すべき初号機「C100」である。

この画期的なバイクは、発売からわずか5カ月で2万4千台を売り上げ、翌'59年には16万7千台もの売り上げを達成し、空前のヒットとなった。本田宗一郎が描いた「誰でも簡単に扱えて、生活に密着したバイク」として、片手で扱えるほどの取り回しとスピーディに移動ができる機動力を実現。広告戦略の効果もあり、日本全国4000軒もの蕎麦屋から注文が入るまでに。ここで蕎麦屋といえばスーパーカブという印象や、後の配達バイクとしての礎が築き上げられた。

 

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