■日本の大衆の脚から世界の名車へ
スーパーカブは、あっという間に大衆の心を掴み、大きなシェアを獲得したが、Hondaの視点は同時に海外へも向けられていた。
最初のターゲットはアメリカ。革ジャンを羽織った荒くれ者が巨大なバイクに跨って走り回るのが良しとされる国へ、小さくて小回りの利く大衆車が乗り込んだ。1959年の進出当初は苦戦した時期もあったが、結果は大成功となった。
バイクショップだけでなく、釣り具店やスポーツショップを通じた独自の販路も功を奏し、日常の脚として、またハンティングや釣りといった趣味のお供として、「バイカー」以外の大衆から熱烈な支持を受けた。
Hondaが所有する'63年の資料には、アメリカのオートバイ総販売台数推定17万台のうち「約70%がホンダのシェア」という記録が残っている。
当時の日本の総理が首脳会談に臨んだ際、大統領に「貴国のホンダは、アメリカ人の生活をすっかり変えてしまった」とまで言わしめたという逸話が、その存在の大きさを物語っている。
日本を代表する名車となったスーパーカブだが、その進化はとめどなく繰り返されていく。
'64年には、それまで採用されていたOHVエンジンからOHCエンジンへの変更を決断。バルブがシリンダーの上部に設置されたOHVより、シリンダーヘッドにカムシャフトが内蔵されたOHCの方がパーツ数が少なく、性能を上げやすくなる。それを小型バイクに搭載する困難なプロジェクトを完遂し、'66年に発売された「C50」に採用したことが、さらなる躍進を導いた。
70年代前後になると、販売台数は世界累計700万台を突破。日本新聞協会からの要請があり、配達業務に特化したスーパーカブが開発されたのも、このころ。蕎麦の出前、郵便、新聞、牛乳などに代表される配達業務に最適なバイクで、単なるモビリティではなく、社会インフラの一部として存在が定着していった。
80年代の第二次オイルショック時の省エネ事情に対応するため低燃費を実現した「50SDX」、規制がバイクに厳しいといわれた、'99年施行の排ガス規制をクリアした「50カスタム」など、大衆の脚=社会インフラとして時代に即した進化をする。60年以上変わらぬコンセプトだ。
近年は配達バイクの枠にとどまらず、スタイリッシュなデザインや塗装を取り入れて、女性ユーザーを含む幅広い層にアピールするなど、若い世代のライフスタイルにも影響を与えるスーパーカブ。利便性、乗り心地の良さ、運転する楽しさを追求し、60年以上前からワークライフバランスを追求してきたスーパーカブは、やっぱり世界一優秀なバイクなのだ。