若い世代に商品が売れない……もう、何度も何度も聞いている話です。
諸説ありますが、人口が少ないところに、メーカー側は大きなマーケットを期待しない、ゆえに彼らに向けて製品を作らない、若い子たちは買いたい商品がない、というスパイラルに陥っていて、市場にとってひとつもいいことがない状態なんだろうな、と個人的には思っています。市場もシニア、シニアと言いすぎの感はありますけど、彼らは実際にお金を使う。マーケットが注目するのも仕方ありませんが、若い世代にとって自分好みのモノが見つからない市場になってしまっているのでしょう。
ではアラサーに代表される若い世代の消費行動とは……と考えると、アラフォー以上が“欲しい”という感情を原動力にしているのに対し、アラサーは“必要”という行動を基準にしているのが違いかと感じます。
合理的で、気持ちに正直なので、買い物をしても後悔がない。“衝動買い”はもはや死語かもしれませんね。それと彼らはモノでも行動でも、誰かと共有することをとても大切にしています。よく若い世代は“コト”を消費するといわれていますが、みんなで何かを一緒にすることが主軸です。必要と共有――これではモノが動かないのも無理はないのかもしれません。
では、なぜ45歳から上の世代はいつまでたっても購買意欲が衰えないのでしょうか。それは“モノとの育ち方”なんだろうと思います。
そこで、ちょっと日本の近代史のおさらい。日本には高度成長期という時期がありました。1954年から1973年までを指し、この期間の日本の経済は順調どころか“高度に”成長し続けたのです。そしてこれによって何が起こったかといいますと、次から次へと新製品が誕生しました。
1950年代は白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫が三種の神器と呼ばれてちやほやされて、1960年代になるとカラーテレビ、クーラー、カー(自家用車)が三種の神器となってちやほやされました。新しいものが次々と世に溢れる……どんな具合だったかは『三丁目の夕日』シリーズでよく表現されていますが、子どもから大人まで、日本人の多くは新しいものを買うことが“是”であると思い込んだのです。
さて、この次から次へとモノを大量投入したことで起こったのが“モノに対する平等と差別の意識”です。
「多くの人が良い、好ましい」と認めた製品によって共感ポジションを獲得する一方で、「自分だけがわかっている」「誰もが持っていないモノを持っている」という選民意識も満足させたいという、相反する価値をモノに求めました。つまり、モノを主語にしてさまざまな展開を想像する、モノを使っての一人遊びができるようになったのです。
「これを持っていたら、○○さんにすごいって言われるかも」
「これを着ていたら、羨望のまなざしで見てもらえる」
「このクルマに乗っている自分はかっこいいだろうな」
といった妄想付きですから、いつまでも楽しめます。しかもこの流れを、日本はバブルがはじけるまでの数十年間の長きに渡り享受してきたわけですから、一度、定まった価値観は簡単に揺らぎません。モノとは是であり、正義であり、正論。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、アラフォーをモノ好きに育てた背景はこんなところにあるのです。
そしてアラフォーにとって、消費のなかでもとくに盛り上がるのが“腕時計”でしょう。高度成長期からバブルになっても、時計はずっとみんなの憧れの存在としてあり続けました。
なかでも1992年に登場し、熱狂的なファンを獲得したのがフランク ミュラーです。
時計ブランドの多くは創業者の名前を冠していますが、ブランドの歴史が長いため故人ばかり。ゆえに会うことはできません。一方でフランク ミュラーは生きています。新モデルの開発ではどんなところで苦労したか、デザインのイメージはどこから得たか――そんなエピソードを次々に語ってくれます。
歴史と伝統の時計業界に、ユニークかつ高機能なタイムピースを引っ提げて、“生中継”“ライブ”が登場したのですから、われわれは大喜びしました。若き世代が“ライブ”好きなのは、いつの時代も同じなんです。
世界の時計好事家たちも若き天才時計師を好評をもって迎えました。“格調”がメインだった高級時計のジャンルに持ち込まれた“高度なテクニックを駆使した遊び”は、大いに私たちをワクワクさせてくれたのです。
ちなみにここで紹介しているトノウ(樽)型を人気のフォルムに育て上げたのはフランク ミュラーといっても過言ではありません。流行を生み出し、定番化させたのです。またこのモデルは大きなサイズが特徴で、ケースの縦の長さは45mm、47mm、50.4mm、55.5mmと4タイプも揃い、すべてかなり大き目。しかし、軽くラウンドさせたケースによって、装着感は抜群で、大きさを感じさせません。
こうした工夫が随所にあるのが、身に着ける道具の面白さ。時計こそ、バーチャルで済ませずに、店に足を運び、触ってみてほしいのです。ケースのカタチ、デザイン、金属の質感など、思いがけないところに心が揺らぐことでしょう。
いまの若者がモノを買わなくなった理由のひとつに、われわれ世代がきちんと「モノを買う楽しさを教えていない」こともあるかもしれません。これについての多少の後悔はありますが、とはいえ“必要と共有”世代のイマドキの若者だからといって、本物の良さがわからないはずがありません。いやいや、必要と共有を理解しているからこそ、新しい面白さを発見するのではないかと期待するのです。
彼らもフランク ミュラーのように、誰かが人生を賭して作った“良きモノ”はわかるもの。しかも時計は人類の英知が結集して成長し、そしてまだ発展が続く分野です。そこにどんな魅力を見出すのか。モノに囲まれて育ったアラフォーは、彼らアラサーの見方に期待しているのです。
(文/citrus 小泉庸子)