■そうですねぇ…機械式カメラは50年ほどは使えるでしょうか?
デジタルカメラには不可能だと思うんだけど、フイルムを使うアナログカメラには機械式の(機械シャッター)カメラがある。
つまり簡単に言うと電池がいらない。
シャッターを切るのに電気の力がいらないカメラ。
歯車やギアなどで機械的にシャッターなどを制御するため、バッテリー切れというトラブルがない。
フィルムのアナログカメラでも、1980年代に入ると一眼レフなどはAF(オートフォーカス)などの電気カメラが主流となっていく。
'70年代以前は機械式カメラが多かった。コンパクトカメラなどにぼちぼち電気カメラが登場するぐらいで、上位機種の一眼レフはまだまだ機械式カメラが主流だったのだ。
電池はせいぜい露出計やモータードライブを使う時ぐらい。
'50年代以前はそもそも電気カメラが存在しないため、機械カメラが普通だった。
最大の特徴は丈夫で長持ち。
よほど雑に扱わない限り、おおよその修理が可能なのである。
中古カメラ屋が普通に存在できるのは、そういった理由による。
電気のカメラは家電製品と一緒で長くは持たないのだ。メーカーに電気の基盤の在庫がなくなったら作れない(作らない)ため、その段階で修理が不能となってしまう。つまり、新しいものに買い替えなさいと。
昔のカメラは耐久消費財的扱いだったため、しっかり作られているのもあるが、時代と共にカメラがお手軽になり、長い目で見ると電気制御のカメラは使い捨ての運命となるのである。
そういった存在のため、中古カメラ市場では基本的に電気カメラの評価は低い。'80年代以降の一世を風靡したはずのAFフイルムカメラなどは、ほとんど値も付かずかなりの安値で出回っている。
値段の問題でもないけれど、僕の場合、物理的なフイルムの良さにこだわっていた事と、昔から長く使えるものが物を買うひとつの基準となっていたため、自分の機械式カメラ選択は当然の結果だった。
■ライカという存在。
僕のライカM6TTLは2001年に並行輸入の新品で購入した。
僕の初ライカである。
今年で16年目で、故障もせずよく働いてくれている。
当時、ライカという存在はもちろん知ってはいたが、何せ高額なため、なかなか購入はできなかった。ブランド神話にあまり興味はないけれど、やはりカメラ店などで触ると小型だけどズッシリした機械カメラの感触に手が喜ぶのが伝わってきて、良いものである事は十分にわかった。
僕の場合、2000年頃から自転車旅が激化し、自転車雑誌などの仕事も始めていたため、小型で撮影の自由度が高く、頑丈で長持ち、後のメンテも問題が少ないカメラを望むようになった。
いろいろと調べ、考えた結果、やはりライカしかないのでは? という結論に至った。
小型の機械式距離計カメラならば、ライカでなくてもいくつかの候補は存在する。しかし、使いやすさと自転車旅というアウトドアに適する頑丈さの条件を考えると、当時の国産の新しいライカマウントの距離計カメラは、安いのは良いけどいささか不安が残る。またニコンの古いS型も候補にあり、頑丈さは申し分ないが、今ひとつ背中を押す要素に欠けていた。
古いコンタックスも使いづらそうだ。
ライカが決定的だったのは、ボディがベトナム戦などの戦争体験の実績があると言う事と、もうひとつはライカL、Mマウントのレンズがライカのレンズだけでなく、世界中のメーカーから膨大な種類が出ており、古いものから新しいもの、安いものから高いものまで選び放題で、これだけは他にはない要素だった。
しかも距離計カメラ用のレンズはミラーの弊害がないので設計にゆとりがあり優秀なものが多い。それに加えレンズ自体の小型軽量ぶりも自転車旅には大変な魅力だった。
そして、たとえ今すぐにレンズを揃える事ができなくても、コツコツと少しづつ集めていけば、相当長い間、楽しめるのではないか? という事が大きかった。
■ライカM6TTL 2000年記念モデル
当時は、そんなタイミングだったのでライカが欲しくなった。
しかしどれを買ってよいのか? 悶々としていた。
最初はメーターの入っているM6が良いのか? とも思った。
しかし、M6の見た目があまり好きではなかった。
最初はものすごくお気に入りになるものが欲しかったのだ。
また、長い間の使用を想定していたので、ブラッククロームではなく使い込んだら良くなりそうなブラックペイントが欲しかった。
古いモデルも見てみたが決定的なものが見当たらず、高額なので二の足を踏んでいた。
そんな折、当時のクラッシックカメラブームに乗ってか? ライカ社から、M6TTLの2000年記念モデルが2000台限定で、しかもブラックペイントで発売されるというニュースが入ってきた。
雑誌に紹介された写真を見ると、ライカ好きの心をくすぐるような仕様だった。ブラックペイント、往年の刻印の復活、M3のパーツである金属製巻き上げレバー、巻き戻しクランクの採用、底蓋開閉レバーへの刻印。
その後、ライカ社はクラッシックタイプの限定モデルを連発するが、このモデルはそういったモデルの第1号となった。
日本には400台ほどの入荷だったらしいが、すでに予約が満杯だったようだ。
僕はすぐには飛びつかず、しばらく様子を見ていた。
そしてだいぶ落ち着いた翌年、並行輸入で新品が少し入っていたのを見て、検討し思い切って購入した。
やはり最初は新品が欲しかったのだ。
■そして16年
以来、長期の自転車旅には必ず持っていった。
望遠と接写にはこれまた機械式一眼レフのニコンNEW-FM2、標準レンズではこのライカM6TTL、機械式ではないが、サッと素早く撮るのに便利で手の平に収まるコンパクトな28mm広角のミノルタTC-1。
何年にも渡ってこの3台の出撃が続いた。
ニコンの一眼レフにライカの距離計カメラの組み合わせは、ベトナム戦争の従軍記者の標準装備だった。
僕は21世紀に入っているのに、自転車で一人ベトナム戦をやっていた。
毎日自転車に揺られ、テントで結露にやられ、時には吹雪や大雨、マイナス30度近い気温でもしっかり作動したから、やはり機械式カメラはありがたかった。ベトナム戦で耐えられたのも体で知る事ができた。
バッテリー作動のミノルタTC-1は真冬の北海道然別湖の極寒でバッテリーが上がりついに気を失った。それを記録したのはニコンでありライカの機械カメラだった。
ライカのブラックペイントも当時の目論見通り、少しづつペイントが剥がれ、自分色に染まっていくのを日々目撃し、楽しんでいる。
この僕の初ライカは、今まで一度も故障していない。
メンテもしていないので、ぼちぼち出そうかと思っている。
電気カメラやデジカメは、果たしてこれほどの耐久力はあるだろうか?
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(文・写真/平野勝之)
ひらのかつゆき/映画監督、作家
1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。