■遠足に持って行った水筒
今は大変便利なペットボトルがあるため、日常的には水筒が活躍する場面はほとんど姿を消してしまった。
ペットボトルが活躍する1990年代以前、自分が子供の頃、春先など遠足に行く時は、自分専用の水筒があり、遠足の朝はお茶やジュース、友達もそれぞれ好きな飲み物を水筒に詰めて体に斜めがけして、いそいそと出かけたものだ。
水筒にもいろいろな種類があり、丸いものや円筒形のもの、キャラクターの蓋のもの。色も千差万別で、遠足でみんなで長い行列を作って歩いていると、赤や黄色など、色とりどりで見ているだけで楽しいものだった。
だから、水筒というと子供の頃の遠足の記憶が蘇ってくるが、アウトドアスポーツの登山などでも、水筒は必需品のひとつとなっている。
■フランスの水筒 LE GRAND TETRAS(グランテトラ)
今回、登場するフランスのグランテトラというメーカーの水筒は、残念ながら今はもう存在しない。おそらくペットボトルが一般的になったからだろう。メーカーが消滅してしまった。従って、入手するとしたらアンティーク屋さんとかネットオークションなどで入手するしか方法がない状況である。
このメーカーがいつごろから存在するのか定かではないが、’50年代にはすでに存在していて、ボトルを中心にコッヘル、ランプなどアウトドア用のアルミ製品を販売していた。
グランテトラのボトルは、表面はアルミだが内部はホーローのコーティングが施されており、水などが痛みづらく、また金属臭なども無い。かわいい外見の割に頑丈で長持ち、蓋の部分のゴムパッキンさえ取り替えれば、何十年にも渡って使用する事が可能である。
■かわいい外見とは裏腹なハードさ
そんな頑丈な構造が評価されたのか、'70年代には登山者たちの必需品であり、標準装備でもあった。
そして、このボトルは彼らのステイタスシンボルにもなったのだ。
ボトルに傷が付き、ボコボコになっていればいるほど、登山の達人であるという証明書であった。つまり、使い込んだこのボトルを持っている事が、ひと目で「ベテラン」である、という暗黙の了解を得られたのである。
当時、たぶん登山者たちは、先を争うように、また楽しむように、このボトルに傷を付け、そしてその凹みなどを眺めては勲章のように誇らしく思ったに違いない。
ペットボトルは、便利だけど使用するとすぐに捨てられ、使い捨てである事を考えると、こんな暗黙のステイタスシンボルとなり得る風習は、なんとも微笑ましいというか、ニンマリさせられるものがある。
従ってこのグランテトラのボトルは、かわいい外見とは裏腹に非常にハードなアイテムであり、そのギャップがたまらない魅力を放っている。
■僕のグランテトラ
僕はこの水筒が好きで好きで仕方ないらしい。
’90年代後半に最初のものを購入してから約20年間、見かけて気に入ると、つい買ってしまい、いつのまにかこんなに集まってしまった…。
’90年代後半には、まだアウトドア店であるICIスポーツなどに普通に売っていたのだ。
最初は0.75ℓの銀色のものを購入した。
当時から、もっと機能的で便利なボトルはたくさん売っていた。頭の中でたぶんこっちの方が便利だろうし軽いだろうな、と店内をいろいろ物色しているのだが、どうしてもこのグランテトラに目が行ってしまい、気がつくと銀色のグランテトラを持ったまま離さない自分がいた。
手は正直である。
人は便利さだけでは動かない。
もう買うしかなかった。でも正解だったと思う。
以来、気に入って自転車旅に頻繁に持って行く事になる。
続いて、同じ銀色の0.25ℓの小さなものを購入。これは何に使おうと考えて買ったわけではなかった。かわいかった、欲しかった、ただそれだけである。
次に深緑色の1.0ℓの少し大きいものを購入。同じように小さい小型の同色のものも購入した。
ここまでが、’99年ぐらいまでに、当時ICIスポーツで買ったものである。
その後、ヤフオクなどでヴィンテージもののかわいさにやられて、いくつか購入。黄色いダルマみたいな形のものや朱色の円形のものがそれである。’70年代ぐらいのものはロゴがシールになっていて、ダルマみたいな形やもっと丸いものもあり、形もバリエーションがある。
ブルーのものは、グランテトラのマークは入っていないが、フランスの自転車部品メーカーのTA(ティー・エー)がOEMで作らせたものらしく、’70年代ぐらいに自転車店で販売していたものだ。自転車に取り付けるためのボトルゲージも専用品が用意されていた。
これらはもちろん実用もしているが、コレクションや飾り的な役割のものもある。とにかく集めていると楽しいのだ。
僕はどういうわけか、グランテトラだけは、売ったり捨てたりする事がどうしてもできない。
飽きる事もなさそうだ。なぜなのかはわからないが、とにかく好きなのだろう。
因みに、0.75ℓのものは、ワイン1本分が見事な具合にピタリと収まる。このあたりは流石フランス人。たぶん昔は、これにワインを入れてピクニックに使ったのだろうと思われる。フランスパンを入れ、バスケットにこのボトルも入れてお出かけする様子を想像すると、これまた楽しいウキウキ気分が充満してくる。
これがペットボトルだと、単に合理的なだけでウキウキ気分にならないんじゃないか?
■旅のお供に
僕は登山者ではなく自転車旅行者だが、グランテトラの活躍は多い。
ペットボトルを使う事もあるが、やはりこのボトルを持って行き、そのへんにヒョイっと置いた時のサマになる感じが忘れられず、面倒だな、と思いながらもどうしても持っていってしまうのだ。
少し前にネットで、昔のアウトドア登山店の店内の様子の写真を見た事あるが、そこにはたくさんのグランテトラが所狭しと並べられていて、なんともいえない気持ちになった事がある。
今はもう存在しないボトルだけど、アウトドア屋さんに行ってこのボトルが無いというのは、何だかさみしく思う。
時代の流れで仕方ないとはいえ、ただ便利なだけではないこういうものの存在が、無くなってしまってよいものだろうか?と、自分の撮ったこの水筒たちの写真をしげしげ眺めながら、複雑な気持ちになるのだ。
20年前に手に持って離そうとしなかった、あの理屈抜きの感覚を、もうちょっと信じていたいのだ。
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(文・写真/平野勝之)
ひらのかつゆき/映画監督、作家
1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。