秋が深まる頃、こんなクラシカルなリュックにカメラやおやつを詰め込んで、短距離を気軽にお散歩するのは、とても楽しいと思う。
見た目はコロリとかわいいリュックに見えるかもしれない。
しかし見た目とは裏腹にこのリュックを作っている小さなメーカー、細野商店(工房HOSONO)はとてもハードなメーカーだ。
■西に一澤、東に細野あり。
大量生産の時代にひたすら背を向け、古くからの作り方を一切変えず、長年に渡って使用できる丈夫な帆布鞄を作っている老舗としては、この二つの小さなメーカーが双璧だろう。
東京の細野商店(工房HOSONO)は大正元年(1912年)に創業し今年で106年目を迎える老舗中の老舗である。店主の細野昌昭さんは三代目。1964年からは、長年に渡り南極観測隊へリュックや袋物を納品している事でも有名だ。日本だけでなくアメリカ、ニュージーランドの部隊にも納入し、実はHOSONOメイドの帆布ものは世界的にも有名なのである。
■HOSONO
細野商店(工房HOSONO)は東京の台東区、日本で二番目に古い商店街、佐竹商店街にひっそりと工房を構えている。
元々は神田須田町、万世橋のほとりに店を構えていた。一時、渋谷に店舗を出していた事もあったが、その時期はわずかで、すぐに台東区に移転して現在に至る。
僕がHOSONOの存在を知ったのは、神田須田町に店があった頃で、ちょうどアルプスの自転車を購入したばかりの頃、雑誌の記事でHOSONOメイドの鞄を知り、神田のアルプスに近かったために行ってみようと思ったのが最初だった。
もう20年近く前の事だ。
僕は、自分のメインの道具類になるようなものは、なるべくなら自分の住んでいるところに近い場所にある工房やお店の方が良いと思っている。結局は人と人との付き合いである。
小さいところなら小回りも効くだろうし、何かと融通もよくなるだろう。
自転車の選択に当時、神田のアルプスを選んだのは、そんな理由もあった。
今でもHOSONOに初めて行った時の事はよく覚えている。
ものすごく古そうな小さな店で、店というより工房という佇まいであった。
狭い入口を入ると、古い修理待ち?のリュックが無雑作に置かれていて、サンプルらしいリュックやトートバッグなどが少数置いてあった。
店主の細野昌昭さんは、店舗の奥の少し高い位置でお客さんを見下ろすような感じで座っていて、ミシンで縫製の作業をしていた。奥に他の職人さんの仕事場があるようで、何やら作業の音が聞こえていた。
細野さんはジロリとこちらを睨んだが(実際は違うだろうけど一瞬そんな感じに見えた)質問をすると丁寧な口調で真摯に答えてくれた。
その頃から長年に渡って使える鞄類を探していた僕は、その小さな店の佇まいや修理待ちの古リュックの凄い風格を見て、長い付き合いになるだろうから、ここにしよう、と心に決めた。
大量生産の時代もどこ吹く風、流行りにも背を向け、国際的な活躍も派手に宣伝しようともしない。
ただ自分たちが良いと思ったものをオールハンドメイドで作り続けようとする強く、静かな意志が、この工房からはにじみ出ているように感じてしまうのだ。
■HOSONOのリュック
2000年を過ぎた頃、僕は細野さんのところでリュックを中心にいくつかを数年に渡って注文した。
2002年にお店の店頭に飾ってあった緑色の昔ながらの大きなリュックにひと目惚れして、同じものを作ってもらった。
お店に飾られていたものは、どのくらい年月がたっているのかわからなかったが、経年変化で緑色がすっかり浅くなって白っぽくなっている。
ボロく見えるどころか立派な風格が漂っているように見えた。
形も古い登山の伝統的なイメージそのもので、逆にかわいらしくさえある。
この佇まいにやられてしまった。
以来、普段使いに頻繁に使って16年。
流石、頑丈さを売りにしているだけあって、ひとつとして切れたり、壊れたりしたところはない。
このぐらいの使い方なら、あと10年は楽勝だろうと思われる。
色も店頭に飾られていたリュックにかなり近くなっているが、16年ではまだもう少しかかるだろう。
ベルトなど各所に革が使用されているが、細野の革はそこらの革と違い牛多脂革で分厚く、雨にも強く、これならそう簡単に切れたりはしない。しかも写真を見ていただければわかるが、真鍮金具と合わせて、使い込むとかなり良い感じになっていく。
力のかかるショルダー取り付け部も牛多脂革で裏打ち、太糸の手縫いで頑丈に補強してあり、過酷な使用にもビクともしない。
HOSONOのリュックやショルダーには全て素材に特殊防水加工(パラフィン含浸加工)を施した9号帆布を使用。洗剤の丸洗いをしなければ、強い防水性を発揮する。また縫製に使用する糸も帆布と同じ特殊加工を施し防水性を向上。これらを全て手作業で作り上げていく。
こんな造りなので、修理も、30年ほどたってやっと戻ってくる場合が多いと言う。
今の日本で、30年前の製品を自分のところで面倒みてくれるところは、どれほどあるだろう?
この事を考えれば、値段も含め、かなり良心的なのがわかる。
■一点もののスペシャルメイド
鞄のオリジナルは意外と難しい。細野さんのところは、もちろん一点もののスペシャルメイドも受け付けているので、細野さんと楽しく相談しながら最初は定番のものにいくつかのオプションを付けて何点か制作したりもしたが、やはり定番のものを超えるほどうまくはいかず、知人にあげたり売ったりして、今は定番のものしか手元に残っていない。
その中で、今でも使用しているのは、このミニポシェットだ。
これは自転車の長期旅行用に自転車用フロントバックにピタリと収まるように設計や寸法を記し、イラストまで描いて作ってもらった一点ものである。
このポシェットも同じ頃に注文したものだから、もう15年以上は使い続けている愛用品だ。自転車旅行専用なので、毎日使うわけではないが、長期キャンプツアーには必ず持っていき、貴重品や小物などを入れている。
キャンプに出ると激しい使い方になるが、15年経過しててもほつれや破れなどは皆無で、機能的にももちろん問題はなく快適に使っている。
やはりリュックと同じように色が褪せて、隅は擦り切れつつある。最初は硬かった帆布も今は柔らかく手に馴染んでいる。
これもまだまだ10年以上は修理無しで使えるだろう。
HOSONOでは、こんな特注品も気軽に受け付けてくれるところが嬉しい。
今までも作った種類は膨大で、数百種類にも及ぶと言う。
修理のために資料はストックしてあるらしいのだが、探し出すのが大変らしい。
また、昔は色がグリーン、グレイ、ベージュの3色しか用意がなかったらしいが、現在は18色もの色があり、細かく組み合わせる事も可能で、これなら特注もずいぶん楽しくなるだろう。
■作り手の顔が見えるもの
僕のHOSONOリュックは、旅用ではなく、普段使いのためのものだ。
リュックに関しての自転車旅用は、前回紹介した一澤帆布のアタックザック(>> 「西の一澤、東の細野」帆布の鞄について。<その1>京都、一澤帆布。映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【25】)を使っていて、HOSONOとは使い分けている。
緑色のリュックとは別に荷物が少ない時は、ベージュのデイパックを日常的に使っている。
これも2003年に作っており、かなり頻繁に使っている。
緑色のリュックほど強度を重視した造りではないためか、ぼちぼち力のかかる肩のあたりが劣化しつつあるが他に不具合はない。しかし15年でこれなら十分すぎるだろう。
HOSONOの初代は人力車の幌や働く道具を中心に作っていて、二代目はリュックや登山用品が中心、そして三代目の細野昌昭さんは、二代目のリュックを受け継ぎながらも、日常的なショルダーやトートバッグなどの鞄を中心に作っているという。
僕もHOSONOのリュックや小物は日常の中心に据えている。
最後に行ったのは5年ほど前だろうか?
現在、自転車で世界一周の旅に出ている久保田翔君の自転車用鞄フルセットを作るために工房を訪れたのが最後だ。
自分のものは、もう15年ほどは作っていない。またぼちぼち何かを作ってもらおうか?
「細野さん、ご無沙汰しています、またこういうのを作ってもらいたいんだけど……」
おそらくこんな感じでまた気軽に工房をお伺いする事もあるだろう。
優れた職人が近所に存在して、作った人の顔が見えるしっかりしたものが手に入る事は今ではとても珍しい事になってしまった。
106年の歴史が作り上げた、かわいくもハードなリュックを背負い、お散歩しながら僕は秋の変わりゆく空を眺めている。
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「西の一澤、東の細野」帆布の鞄について。<その1>京都、一澤帆布。映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【25】
雨の国、日本。「雨に唄える雨具いろいろ」 映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【22】
(文・写真/平野勝之)
ひらのかつゆき/映画監督、作家
1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。