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■そして一年後
どうしても、この謎が気になった。
京都という土地は、僕だけでなくこのテの似たような化かされ話、または怪談などが多いようである。
詳しく調べたわけではないが、同様の体験の話はたくさんあるようだ。
京都は古いものがたくさん残っているからだろうか?
長い歴史の面影がまだ所々に影を落としているからだろうか?
ウジウジ谷の前日に立ち寄った志明院も、昔、司馬遼太郎を始めいろいろな人が宿泊した際(現在、宿泊はできないようだ)に謎の怪現象に遭遇している。
なぜなのか?はわからないが、こんな話が多いのも京都の特徴だ。
世の中には理屈や科学では解明できない現象があるのは承知しているが、個人的には、そういう怪現象は信じていない。
とにかく、この謎を解くため同じ時期に再び京都に向かった.。
■2018年12月1日(土曜日)
京都に降り立った僕は、いつもの市街の拠点から、去年の宿、ペンション愛宕道へと去年と同じくツイードを着て自転車で向かった。
1年ぶりの宿は何も変わってなかった。
おばーちゃんも元気だった。
「もちろんおぼえてはるよ、そのためだけに来はったんか? わざわざ東京から? おもろいお人やなぁ(笑)」
前回の事があるので、今回は事前に宿に着いたら、おばーちゃんに車を出してもらって道の確認をする事にした。
宿の休憩室で、おばーちゃんと話していたら
「二股の道は右のウジウジ峠に行く方は少し下り気味になっていて、左の道は少しだけ上りになってるんやで」
「え!?…」
その時、ピンときた。
以前見たブログの三叉路のような道もそうなっていたからだ。
やはり、あの画像の道が二股なのか?
これを聞いて一刻も早く車で確認に行きたくなり、すぐに、ばーちゃんと車で出動した。
車内では
「こんな道、迷うはずがないんやで、おかしな事言うお人やなぁ?って」
今回は化かされないように、お化けはマッチの煤の匂いが苦手と聞いたのでマッチを持参し、塩まで持ってきた。念入れのためである。
「マッチ? 塩? きゃーはははは、そんなもんまで持ってきたんか? おもろいなぁー(笑)、おもろいお人やなぁー」
こっちは真剣だが、ばーちゃんにはやたらウケた。
問題のY字の道は、宿からさほど遠くない場所にありすぐに到着した。もちろん一本道で途中に枝道はない。
「ほら、ここや」
「えええええええええ!!!!!????」
以前、モニター上で見た道が確かに目の前にある。
「そんな馬鹿な?…」
あっけなく現れたそのY字の道に、しばし呆然とした。
この年は台風の影響で倒木があり、車は通行止めの看板があるが、去年は無かったはずだ。しかし、こんなにわかりやすい二股の道を自分は見落としていた事になる。
しかも、行きと帰りで二度も見落としている。
特に帰りは目を皿のようにして、道がないか?と戻って来たはずなのに、だ。
霧は出ていたが周囲を隠すほどではなく、十分にわかるはずである。
そんな事があるだろうか?
しかし、この場所の記憶がまったくない。
あればこんなに騒がないだろう。
去年、自分は何の疑いもなく、右の道が無いかのように左の道を直進していった。
そして現れたのがもうひとつのY字で、そこをこの場所と勘違いしていたということになる。
地図を確認すると、確かに左の道の先にはY字の部分はあるが、道は繋がっていて通行止めにはなってはいない。
ばーちゃんによると、確かに左の道の先は車で行く道ではない、と言うが釈然としない。
結論として、現実的には「単なる見落とし」である。
しかも二度…。
こうもあっけなく道が現れると、笑われるのも当然だ。
見落としているのは事実だが、しかし、本当にそうなんだろうか?
不可解で恐ろしいのは、 こんなにわかりやすくハッキリしたY字なのに、行きと帰りで二度も、この道の記憶が完全に頭の中で「空白」 になっている事だった。
いずれにしても、これで道はハッキリしたので明日のツーリングで気でも失わない限り、問題はなくなった。
娘さんが見たジョキングの人も、僕が左の道に入った後に、右の道から走ってきたから出会ってないのでは?という推測だった。
一応、理屈では解決できるが、自分的には何だか不可解なままだ。
この日、宿の布団に入るが、モヤモヤしたまま深夜まで眠れなかった。
■12月2日(日曜日)
やっとウジウジ峠に行くことができる。
この日、おばーちゃんと娘さんにお礼を言って、朝9時に出発した。
林道や峠にはお店などは無いので、おばーちゃんにお願いして、昼食のおにぎりも作ってもらった。
峠に着くと、次は高雄に抜けるための谷山林道に入る。ここも地図だとわかりづらいので、念のため、おばーちゃんと娘さんに夜戻ったら連絡を入れると伝えた。もし連絡がなかったら遭難している可能性もあると、話しておいた。
いつもの1リットルのグランテトラの水筒にたっぷり水を入れて、緊急食料のスニッカーズも二つ荷物に入れた。
天気は快晴。風もなく、林道に入ると初冬の美しい光が周囲を覆っていた。
念入れで、Y路地の入口でマッチに火を灯し、塩も体にかけて、右の道へと進んだ。
台風のせいで倒木が各所にあり車では行けないが、自転車やオフロードバイクなら走行可能だろう。
そうは言っても道は聞きしにまさる荒れ方で、ガレにガレてて石はゴロゴロ、窪みが頻発して、とても自転車に乗って走行できる状態ではない。
ごくごく一部の道路しか乗って走れない。オマケに上りだから、ますます乗れない。
押し歩きでゆっくりと進むしかなかった。
しかし、去年の霧と違い光が各所で美しく不思議な安心感があった。
もしも去年、間違えずに行けたとしても、あの霧では、かなり不安になったのではないだろうか?
ウジウジ峠の頂上には、12時頃に到着した。
頂上まで約3時間もかかったが、快晴で眼下に京都市が見える。
何もないが、日本の峠らしい峠の雰囲気で気持ちが良かった。
頂上付近にはダルマ峠への道もあるが、小さい道で、よくわからない枝道もあり、看板もなく非常にわかりづらい。
山岳地図も見るが、現在地も把握しづらい。
これはGPSでも持ってない限り、遭難者が出てもおかしくはないな、と思った。
ほどなく、首無地蔵に出て、そこには看板があり、ホッとした(しかし、この看板にも書いてない枝道があって紛らわしかった)。
ここで、ばーちゃんに作ってもらったおにぎりを食べて、しばし眼下の絶景を楽しみ休憩した。
心配した谷山林道は全舗装の上に、紛らわしい道もなく、下りだったのでアッという間に高雄の国道に出てしまった。
実は過去に、2011年の京都、鞍馬の林道でも撤退している(この時は時間切れと地図上のポイントを確認して納得している)ので、京都での林道貫通はこれが初めてとなった。
高雄の国道に出たら、緊張が解けたせいか気が抜けた。
この日は少し早かったが、そのまま京都市街の拠点へ帰って、無事にツーリングを終わらせたのだった。
■「化かされる」という事について。
今回の不可解な出来事で、ひとつ気がついた事がある。
あれからいろいろ考えた。
妖怪の世界に「ぬらりひょん」という妖怪がいる。
どんな妖怪かというと、師走など人が忙しくて心にゆとりがない時に、そのゆとりのない心の隙をついて、例えば食堂などに入り込み、悠々と飯を食って、そのまま去っていく、という妖怪だ。
人の心の隙に巧みに入り込むので、誰もぬらりひょんが食事して去って行った事に気がつかない。
だから、ぬらりひょんを見たものは誰もいなくて、気配だけが残される。
そして「おかしい?」となるのだそうだ。
そんな高度な技を使うので、一説には妖怪の総大将と呼ばれているそうだ。
僕は、今回の出来事はこれではないか?と睨んでいる。
つまり、実際にお化けや妖怪の仕業というより、この心の隙が生んだ現象なのではないかと?
林道で注意しすぎて緊張したあまり、心のどこかに隙ができて、単純な道がむしろ見えなくなっていたのだと思う。
だから、昔から言われる「妖怪」というのは、この心の隙ができてしまった時に現れる現象を「妖怪が現れた」と言うのかもしれない、と思った。
それを昔の人は「化かされる」と表現したのでは?と、気がついたのだ。
それが、なぜ京都という場所で起こるのかはわからない。
心の隙ができやすい場所なのだろうか?
しかし、もしも、お化けみたいなものが存在しているとするならば、結果論として、もしかしたら、お化けが僕の味方をしてくれたのかもしれない、とも思った。
なぜなら、今回、ウジウジ峠に行った限り、道は荒れ果て、上はかなり道がわかりづらかったからだ。
もしも、去年、あの霧の中を峠まで行ってたとしたら、かなり苦労して、ヘタすると霧で道がわからず遭難していたかもしれないからだ。
「今日はおやめなさい、また次の機会に来なさい」
と、結果として晴天のツーリングを終えた後だと、そんなふうに去年はお化けがわざと化かしてくれたのかもしれない、とも思えてくる。
いずれにしても、真相は京都の深い藪の中である。
旅を終え、おばーちゃんに報告の電話をした。
「良かったなぁ、ほんまに良かったなぁ、元気でな」
おばーちゃんは、とても喜んでくれた。
おばーちゃんは、僕が目的を終えたので、もうここには当分来ないと思ったのだろうか?
「元気でな」の言葉が印象に残った。
僕は、首無地蔵のところで食べたおばーちゃんのおにぎりが最高の味だった事を伝えた。
▼今回の記事で使用した「暮らしのアナログ物語」に登場したもの。
>> 元祖英国アウトドアジャケット「テーラー羊屋 ツイードジャケット」映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【15】
>> 軽く生きる。軽量家出自転車「アルプス・スーパークライマー」。映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【17】
>> 愛しの水筒 LE GRAND TETRAS のボトルについて。映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【21】
>> 「 黒く塗れ」。僕のライカM4ブラックペイント ー映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【27】
>> 「映画の眼」フランス、アンジェニュー(Angenieux)のレンズ ー映画監督・平野勝之「暮らしのアナログ物語」【28】
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(文・写真/平野勝之)
ひらのかつゆき/映画監督、作家
1964年生まれ。16歳『ある事件簿』でマンガ家デビュー。18歳から自主映画制作を始める。20歳の時に長編8ミリ映画『狂った触覚』で1985年度ぴあフィルムフェスティバル」初入選以降、3年連続入選。AV監督としても話題作を手掛ける。代表的な映画監督作品として『監督失格』(2011)『青春100キロ』(2016)など。