■インドネシアと日本のつながり
出発は朝7時ということで、早めの起床。スラウェシ島はジャカルタとも時差が1時間あり、日本との時差はわずか1時間。時差ボケもなくすっきり。
100万人以上の大都市とはいえ、高層ビルもさほどなく、町の雰囲気はおだやか。東南アジア特有の、都会だけどゆるい感じがあります。
出発して市街地を抜けると、あとは田んぼが広がる一本道をひたすら北上していきます。道沿いを眺めていると点在する家の中に一定間隔で現れるモスク。やはりムスリムが多いのかと日本語バッチリな敏腕コーディネーター、マルセルに聞くと「そんなことないですよ」とのこと。
そしてマルセルは、日本人は意外と知らないインドネシアという国のことを教えてくれました。
インドネシアは多民族国家。300以上の民族がある。だからみんな、インドネシア共通語以外に自分の民族の言葉をしゃべるそう。学校では共通語をしゃべり、家に帰ると自分の民族の言葉でしゃべるのが普通とのこと。
スラウェシ島にもさまざまな民族がいて、マカッサルはマカッサル族でマカッサル語、少し北に行くとブギス族の地域になりブギス語が話されいてる。今回の目的地トラジャもトラジャ族の地域になり、言葉もトラジャ語になるんだとか。
ちなみに「ありがとう」は、インドネシア共通語では「トゥリマカシ」ですが、トラジャ語では「クリシュマンガ」。まったく似ていません。ここまで違うと、国民みなバイリンガルみたいなものですね。
はるか昔から、現在のインドネシアとなる地域にはさまざまな民族がいたそうです。そこに現れたのがオランダ。大航海時代の16世紀に東インド会社を設立し、植民地化します。その支配は20世紀まで続きますが、第二次世界大戦で日本軍が進出。そして日本の統治下に。その時、占領した日本軍は、道路や学校を作るなどインフラを整備します。その名残で、現在も日本と同じく道路は左側通行になっているということらしいのです。
またマルセルはこう話していました。
「オランダが植民地にしていた頃はインドネシアの人々は学校に通わせてもらえなかった。だけど日本が来てみんな学校に通えるようになった。日本軍はインドネシアと戦ったわけでなく、オランダを追い出してくれた国。だから今でもみんな日本が好きなんですよ」
もちろんこれはあくまでマルセルの考えであって、インドネシアの誰もが感じていることではないのかもしれません。でも今につながる歴史の流れがさまざまな部分に残っているということに、いろいろと考えさせられました。