酒のつまみにこれほどのものはないし、少量でご飯がいくらでも食べられる、好きな人にとってはたまらない食品だ。魚は主にサバで作られることが多いが、地域によっては、シイラ、飛魚、こうなご、イカなどのへしこもある(石川にはフグのぬか漬けもあり、3年漬けると不思議なことに毒が抜けるそうだ)。福井は県を挙げてのへしこ推しで、美浜町には「へしこちゃん」というゆるキャラまでいる。
今回訪ねたのは、福井県福井市茱崎町(ぐみざきちょう)にある越廼(こしの)地区。魚のぬか漬け発祥の地ともいわれている。福井駅から車で1時間弱の海沿いで、地図で見ると、東尋坊と越前海岸の間くらいの位置になるだろうか。
福井駅を離れると、一気に深い森の中を山道が続き、そこからまた突然ぱあっと視界が開けて海が広がる。晴れた日にはきっと爽快だが、日本海側ゆえ、2月末のこの日はどんよりとした天気だった。
それでも奥深い山の中から急に広々した海へと景色が変化するさまは、なかなか気分のよい驚きがある。また、このような地形であるがゆえに、山から養分が川を伝って海にたっぷり注ぎ込み、豊かな漁場となるそうだ。
イカ漁発祥の地でへしこを作ってきた!
越廼地区は昔からイカ漁の盛んな村だったそうで、イカ釣り発祥の地でもある。ここで漁師さんと一緒にイカのへしこを作ってきた。そもそもイカで作るへしこは珍しく、全国的に見てもこの地だけらしい。希少な珍味中の珍味。
そして漁師さんは、なんと女性! 40年近くイカを追いかけてきたという大ベテランの上野志津子さんだ。最近引退したそうだが、70歳まで船に乗っていたというのだからすごい。女性が漁師になるなんて、現代でもなかなか難しいことだと思うが、上野さんは漁師の家に生まれ、子どもの頃から釣りが大好きで、ずっと漁師になりたかったのだという。
父親に付いて一緒に船に乗り、よく手伝っていたそうだ。結婚してからは夫婦でイカ釣り漁船に乗って、九州から北海道まで日本中の海を巡っていたという。時には嵐で海に投げ出され死にかけたり、浜辺でダイオウイカを見つけたこともあったりと、数々の武勇伝がある。
そんな話を事前に聞いていたので、どんな男勝りの凄腕な女漁師さんなのだろう?と、内心ちょっとビクビクしていたが、実際に会った上野さんは朗らかで優しく、親しみやすい女性だった。そして上野さんの前には、ぷりぷりとしたイカが、どっさり広げられていた。
さて、イカのへしこの作り方を簡単に書くと……
- イカを捌く。目玉とくちばし(トンビという)、内蔵と中骨を取り、切り目を入れる
- 全体に塩をまぶし、1週間から10日ほど漬ける。水が上がってくる
- 全体にぬかをまぶし、唐辛子を振って樽に漬ける
- 一年以上置く
1.イカを捌く
まずはイカを捌く作業から。上野さんはあまりにも素早い手つきで、さっさと目玉とくちばしを取り、するりと内臓を抜いてしまう。素早いのに、仕事はとても丁寧できれい。
イカはつるつるピカピカの新鮮なせいか、あまり生臭さは感じなかった。むしろイカの美しさに見とれるほどだった。目玉を取るにも、自分はあまり気持悪さを感じなかった(キャーキャー言っていた人もいたけど)。
コツを掴めばするっと無理なく取れる。内臓は、人差し指を引っ掛けて、一気にぐいっと引っ張ると抜ける。上野さん達はより手早くきれいに取るための道具を独自で開発しており、細長い輪の状態になったその道具をイカの体の中にすっと入れて、すいっと引くと、つるりときれいに取れた。
2.塩をまぶす
捌き終わったら、次は塩をまぶす。塩は赤穂の塩。まんべんなくきれいに塩を振ったら、イカを樽の中に入れる。エンペラを下向きにして広げて整え、足はまっすぐ揃えて並べることが大事。こういう作業に決して手を抜かない。出来上がった樽の中は、何か美しい織物が畳まれたかのように整然としていた。この状態で重しをして、一週間から10日ほど漬けておくと、水が上がってくる。
本来は、その後一週間は待つのだが、今回は“体験”ということで、既に一週間前に漬けてあったものをご用意頂いた。
3.ぬかをまぶす
このピンクのイカにぬかをまんべんなくまぶす。ぬかは福井県産のコシヒカリ。そういえば、福井はコシヒカリ発祥の地なのである。コシヒカリといったら新潟かと思っていたが、実は福井なのだ。
さっきから食に関して「○○発祥の地」が多過ぎるような気もするが、フードジャーナリスト向笠千恵子さんの著書「和食は福井にあり」を読んでみると、「福井には、日本の食文化が凝縮されている」と書かれており、和食を知る上で、福井の食の歴史文化が重要なキーポイントとなっているのではないかと気付く。
和食の根幹であるお米、豊かな海と鯖街道から生まれた発酵食品や保存食、北前船による昆布ロードの出汁文化、そして永平寺の精進料理。さらに福井の特産といえば、日本人にとってごちそうの代表である越前ガニである。読めば読むほど和食の全て、日本人の食の原点が福井にあるのではと確信してしまう。
さて、話を戻し、イカにまぶすぬかには塩を混ぜている。サバなどを漬けるときには、塩は混ぜなくていいそうだが、イカのときは入れる。そうしないと、イカが溶けて魚醤になってしまうのだそうだ。塩は発酵の速度を抑えるためでもある。
ぬかをまぶしたイカは、また樽の中にきちんと仕舞われる。丁寧に足を伸ばし、エンペラを広げて、順番にきれいに重ねる。一段全て埋まったら、小口に切った唐辛子を振って、ぬかを被せる。
次はイカを90°に角度を変えて並べ、交互に積み重ねて行く。無駄な隙間を作らず、きっちり美しく樽に詰め込むのである。この丁寧な作業に惚れ惚れとする。最後はぬかでフタをして、塩漬けのときに出た旨み水分をさらさらとかける。2、3日して水が上がってきたら重しを乗せ、1年以上置く。
イカは年中獲れるので、基本的には季節に関係なく作れるそうだが、土用の前までに漬けて、次の年の土用を超えるまで発酵させたものがよいとのこと。この土地では昔からイカのへしこを作っていて、上野さんも親が作っているのを見て、手伝って覚えたという。
今も変わらず昔ながらの伝統的な作り方で、材料は塩、米ぬか、唐辛子しか使っていない。全くの無添加。また、イカ、サバ以外にも、色々な魚でへしこを作っている。上野さん曰く「食べられない魚はない」。普通だったら捨てられてしまう魚でも、あれこれ試してその魚に合った加工方法を編み出している。上野さんは漁師としての腕もすごいが、料理人としても一流なのだ。
えもいわれぬ豊潤な旨味のイカへしこ
へしこ作りにチャレンジした後は、実際にイカやへしこを味見させてもらった。そもそもシンプルに炭火で焼いたイカが、とてつもなく美味しい。
そしてへしこは、1年漬けたものと2年漬けたもので味比べをした。1年でも旨みがぎゅっと凝縮されて十分に美味しいのだが、2年たつと塩の角が取れてよりまろやかになり、噛むほどにイカの豊潤な旨み出汁が口の中に存分に沁み渡って、もう陶酔するしかない。目頭を抑えて食べる感じである。そしてとにかく限りなくお酒を欲する味である。この地方では、大根おろしと一緒に食べるのだそうだ。
上野さんを中心に、越廼漁協のみなさんは「越廼漁業協同組合 ぬかちゃんグループ」を結成し、地元で水揚げされた材料にこだわって、商品の開発・製造・販売を行っている。
ここで商品化された最近の大ヒット商品は「イカへしこオイル漬け」。イカのへしこを細かくそぼろ状にしてオリーブオイルに漬けたもので、ニンニクも少し入っている。こうするとアンチョビのように手軽に使え、野菜に付けても、パスタに和えても、ご飯に乗せても、ラーメンに入れても、とにかくなんでも合う。
一度味わうと中毒になるくらい、手放せなくなる。自分の回りでも、今まで食べてもらった友人の誰もが前のめりになって食べ尽していた。素材そのものの質の良さと、発酵から生み出される魔法のような旨み溢れる味わいに、みんな虜になってしまうようだ。
越廼の隣町は越前。カニで有名な地域である。華やかな越前ガニに押されて、越廼は知名度が低く、特産品もマイナーで伸び悩んでいたという。しかし、現地へ行っていざ食してみると、その美味しさに目を見開かんばかりだった。福井にはまだまだ驚くようなお宝食材があちこちに潜んでいるようである。
(写真・文/江澤香織)
食、旅、クラフト等を中心に活動。著書『山陰旅行 クラフト+食めぐり』『酔い子の旅のしおり』(マイナビ)、『青森・函館めぐり クラフト・建築・おいしいもの』(ダイヤモンド社)等。酒蔵めぐりをメインとしたツアーやイベント「だめにんげん祭り」主宰。最近は日本海側、発酵食品、イカなどに興味あり。
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