市販予定ナシ!それでもトヨタが“水素エンジン”車でレースに挑む理由☆岡崎五朗の眼

■ドライブフィールはガソリン車と変わらない!?

5月22日〜23日に富士スピードウェイで開催された「NAPAC 富士SUPER TEC 24時間レース」に、トヨタが水素エンジンを搭載したマシンで参戦、見事に完走を果たした。そのこと自体かなりのサプライズだったが、それ以上に驚いたのが世間からの注目度の高さだ。F1ならまだしも、スーパー耐久というある意味マイナーなカテゴリーにもかかわらず、当日はテレビ局を始めとする大手メディアがこぞって取材に訪れ、現場は大にぎわいだったという。

世界初の水素エンジン車によるレース参戦、しかもドライバー陣にはモリゾウ(レーシングドライバーの時に用いる名前)こと豊田章男社長が名を連ねているとあれば「当然でしょ?」と思うかもしれない。しかし章男社長がレースに参戦するのは何もこれが初めてのことではない。やはり二酸化炭素を発生しない水素をエネルギー源としたクルマを、サーキット、それもレースという真剣勝負の場で走らせたことが、脱炭素という大きな流れの中で注目を集めた最大の理由だろう。

モリゾウ選手こと豊田章男社長(後列中央)

とはいえ水素エンジンを搭載したクルマは、今回参戦した「カローラ スポーツ」が初めてではない。2000年代初頭にはマツダやBMWが試作車を製作し、実際にジャーナリストに試乗までさせている。僕も乗ったが「いわれなければガソリンエンジン車とそれほど変わらないフィーリングだな」という印象を持った。

BMW ハイドロジェン7

マツダ RX-8 ハイドロジェンRE

しかし、マツダもBMWも市販化にはこぎ着けられなかった。理由は大きく分けてふたつある。ひとつは水素供給インフラが未整備だったこと。これはトヨタが燃料電池車の「MIRAI(ミライ)」を一般ユーザー向けに市販している現在でも解決されていないが、当時はさらに絶望的な状況だった。

もうひとつは水素のエネルギー密度が低いことだ。エネルギー密度の低さは、実用的な航続距離を確保するのに巨大なタンクが必要となることを意味する。そこでBMWがトライしたのが液体水素というアプローチだった。水素は液化すると気体状態の800分の1の体積になる。しかし液体状態を保つにはマイナス253℃という極低温が必要だ。そこでBMWは巨大な魔法瓶のようなタンクを使って液体状態を保っていたが、それでも気化(ボイルオフ)することは避けられず、圧力を抜くために少しずつ水素を大気に放出する仕組みが必要になる。屋外なら危険性はないという説明だったが、2〜3週間、屋内駐車場に停めるのはNGという制約を聞いた時、「ああ、これは市販化は難しいな」と思ったものだ。

一方、マツダは当初、水素吸蔵合金を使っていたが、タンク重量が300kg以上になること、また、入れるのはいいが条件によっては水素が合金から出にくいという問題もあってモノにならず。その後、35Mpa(メガパスカル)の高圧タンクを採用(今回のトヨタのレーシングカーやMIRAIは70Mpa=700気圧)したものの、同じ水素を使うなら水素と大気中の酸素を科学的に反応させて発電させる燃料電池の方が効率がいいよねということになり、お蔵入りとなってしまった。

■内燃機関で脱炭素を可能とする研究が世界で進む

そんな経緯を持つ水素エンジンを、なぜこのタイミングでトヨタが再び持ち出してきたのかといえば、「“カーボンニュートラル”を可能とする唯一の選択肢はEV(電気自動車)である」という世間の誤解に一石を投じるためだ。前述したように、水素はエンジン内で燃焼させても排気管から二酸化炭素は出ない。それでいて既存のガソリンエンジンに改良を加えるだけで成立し、パワーもほぼ同等、そして刺激的なエンジンサウンドも聴ける。そのことを広くアピールするには、レースという実戦の場が最も効果的だとトヨタは考えた。

結果は大当たり。これまでEVのみを持ち上げ、ハイブリッド車に固執するトヨタは「EVで出遅れた」などと連呼してきた大手マスコミが、こぞって水素エンジンについて好意的に報じたのである。中には、トヨタ自身が否定している水素エンジン乗用車市販化の可能性についてまで言及した記事があったほどだ。

つくづく大手マスコミは分かりやすさが大好きなんだな、と苦笑いしてしまった。EV万能論も、走行中に排気ガスを出さないという分かりやすさにのみ目を向けた結果だし、今回の水素エンジンへの好意的な記事もおそらく同じ文脈だろう。実際には、発電する時にも水素を製造する際にも二酸化炭素は出ているのだから、現段階で脱炭素などと軽々しくはいえないのが現実だ。

ただしトヨタの名誉のためにいえば、今回のレースで使った水素は福島県の浪江町にある世界最大級の水素製造プラントで、太陽光発電から得た電力を元に製造された正真正銘のグリーン水素。またピットで使う電気も、同様の水素を使ったMIRAIの燃料電池でまかなった。もちろん、マシンやタイヤの製造、スタッフのサーキットまでの移動や飲食には二酸化炭素の排出が伴うが、そんなことをいっていたらキリがない。ここまで徹底すれば「カーボンニュートラルでのレース挑戦」をアピールする資格は十分にある。

とはいえ、市販化となると話はまた別だ。再生可能電力で水を電気分解したグリーン水素はまだまだ生産量が少なく、コストも高い。マシンを見ても、リアシート部が大きな水素タンクで占領されていたにもかかわらず、一回の水素充填で1周4.4kmの富士スピードウェイを12〜13周しかできない(他のマシンは数十周走行可能)。マツダやBMWが市販化をあきらめた理由はいまだ解決されていないというわけだ。可能性がゼロとはいわないが、おそらく水素エンジンが市販車の主流になることはないだろう。

しかし、水素を原料にしたeフューエルと呼ばれる液体燃料はポルシェがチリに実証実験プラントを建設し研究を進めているほか、F1も導入を検討している。その他、バイオ燃料、さらには水素を常温常圧で保存可能なギ酸(エネルギー密度は水素の1000倍!)に変換し、再び水素に戻す研究も進んでいる。また、現段階では実験室レベルだが、トヨタは先日、ギ酸を人工光合成によって効率よく作り出すことに成功したと発表した。

このように、カーボンニュートラルを目指した技術開発は世界中で進んでいる。もちろんその中でEVは非常に重要かつ将来性のある技術だが、同時に内燃機関を活用しつつ脱炭素を可能とする方法も考案されつつあることをどうか忘れないでくださいね、というのが、今回のレースを通して発せられたトヨタからのメッセージである。こういう風に書くと、EV信奉者から「電力をわざわざ水素に転換するより直接モーターを駆動した方が効率がいい。水素はムダだ」という意見が寄せられそうだが、効率のみを錦の御旗にするのであれば、「生産時に大量のエネルギーを必要とする大容量バッテリーを搭載したバカっ速い重量級EVは本当に効率的なのですか? また、世の中には自宅や職場で充電できない人も多くいて、そういう人たちにも脱炭素モビリティを提供することが本当にムダなことなのですか?」と問いたい。

そういう当たり前の議論を当たり前にできる雰囲気作りに貢献したという意味で、水素エンジンによる24時間耐久レースへの参戦、そして完走には大きな意味があった、というのが僕の見立てである。

文/岡崎五朗 

岡崎五朗|青山学院大学 理工学部に在学していた時から執筆活動を開始。鋭い分析力を活かし、多くの雑誌やWebサイトなどで活躍中。テレビ神奈川の自動車情報番組『クルマでいこう!』のMCとしてもお馴染みだ。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

 

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