■現在のエンジン開発は無駄な投資となるのか?
ホンダの新社長に就任した三部敏弘氏が、4月23日の就任会見で驚くべきプレゼンテーションを行った。2040年には同社が世界で販売するクルマの“100%”をEVとFCEVにするというのだ。エンジンとモーターと小型バッテリーを組み合わせたHEV(ハイブリッド車)はもちろん、エンジンとモーターと中型バッテリーと充電機能を組み合わせたPHEV(プラグインハイブリッド車)すら廃止する。つまり、2040年時点で販売するホンダ車は1台たりとてエンジンは搭載しないということだ。
これはもう驚愕以外の何物でもない。もちろん、今回の発表は政府が掲げた2050年のカーボンニュートラルへの布石であるのは間違いないし、それ自体を批判するつもりは毛頭ない。しかし、だからといって「よくいった!」と素直にほめたたえられるかといえば、ことはそう簡単じゃない。
「いやいや、EV化は世界の流れであって、ジャガーやボルボも全車EV化を発表しているじゃないか。ホンダだってできるはずだ」、そんなふうに思う人もいるだろう。だが、年間販売台数はジャガーが10万台、ボルボでも70万台にすぎず、500万台強のホンダとはビジネスモデルが全く違う。先進国に暮らす高所得者層はEV/FCEV化に伴う価格上昇をある程度は許容してくれるだろうが、ホンダの500万台は120万円台の軽自動車(83万6000円〜の「アクティ・トラック」は2021年4月に生産終了)から2000万円超の「NSX」までフルラインナップで商品をそろえ、それらを世界中のありとあらゆる地域で暮らす人々に売った結果の500万台である。
年間数百万台を売るというのはそういうことだ。そこを理解しているからこそ、トヨタもVW(フォルクスワーゲン)も「エンジン廃止」とはいわない。ホンダと提携関係にあるGM(ゼネラルモーターズ)にしても「全力でEV化を進める」といいつつ、「どんなクルマを買うかを最終的に決めるのは顧客だ」と予防線を張っている。
そう考えると、ホンダの今回の発表には2通りの解釈が成り立つ。ひとつは2040年には途上国を含めたほとんどのユーザーが「エンジンを積んだクルマなんてバカらしくて買ってられない」となるくらいEVとFCEVが魅力的な商品になることを前提にしていること。しかし、後述するがこの前提で計画を立てるのは、ルーレットで持ち金をひとつの目にすべて賭けるような大博打である。もうひとつは現在の500万台規模を縮小する計画だ。僕は4対6くらいで後者のウエイトが高いと見ているが、前者をとれば大きな経営リスクが生じ、後者をとれば自社やサプライヤーのビジネス、具体的にいえば雇用確保に大きな影響を与えることになる。冒頭で「驚愕以外の何物でもない」と書いたのはそういうことだ。
「そうはいっても、2040年までにはあと20年近くあるんだから心配ないのでは?」などと気軽に考えてはいけない。開発ベースで考えると決断のタイムリミットはもうそこまで来ているからだ。2040年にエンジン搭載車の“販売”を止めるということは、モデルサイクルから逆算すると2035年前後に発売する新車がHEVやPHEVを含め最後のエンジン搭載車になる。しかも、たった数年しか売らないクルマのために巨額の研究開発費用が掛かる新しいエンジンやハイブリッドシステム、エンジン車用プラットフォーム(車台)を開発するのは割に合わないわけで、それらの開発は数年、長く見積もっても10年以内に中止する必要があるだろう。より時間の掛かる基礎的燃焼技術の研究に至っては明日にでも止めなければ無駄な投資になってしまう。そこにGMとのEV共同開発計画が絡んでくることを考えると、早急にエンジニアの配置転換やリストラ、部品サプライヤーとの調整も行う必要がある。2040年のエンジン廃止とはかくも重大な決定なのだ。
もちろん、ホンダという企業が生き残りの方策としてその道を選んだことは尊重しなくてはならないし、応援したい気持ちはやまやまだ。しかし、現時点でのエンジン廃止宣言はあまりにリスクが大きすぎる。トヨタ自動車や日産自動車はHEVのさらなる燃費向上を目指して熱効率50%を視野に入れたエンジン技術開発を進めているし、エンジンを脱炭素化させるバイオ燃料や合成燃料の研究も世界各地で進んでいる。一方、EVの増加によってバッテリー原材料の確保はますます難しくなりつつあり、それにつれバッテリー価格も下げ止まり方向にある。プジョー、フィアット、クライスラー、ジープといった14のブランドを傘下に持つ世界第4位の自動車アライアンス“ステランティス”を率いるカルロス・タバレスCEOは「最近のEV化の流れはわれわれ自動車メーカーではなく政府が決めたものだ。しかし現実問題として、EVへの一本化は低所得者層にクルマではなく自転車に乗れといっているようなものだ」と発言している。今後バッテリーに技術的ブレークスルーが起こりコストと性能と発火に対する安全性が向上し、なおかつ発展途上国を含めた世界中の充電インフラが万全になれば「めでたしめでたし」だが、果たして2040年にそんな世の中が実現するだろうか。確率は絶望的に低いというのが僕の見立てだ。
■今こそエンジニア出身社長らしい冷静な現状分析が重要
ホンダは“脱エンジン宣言”によって自らを袋小路に追い込んでしまったのではないか? 三部社長のプレゼンを聞いて正直寒気がした。しかしこの話には続きがある。先の会見は2部制で、1部が先の脱エンジン宣言、2部がQ&Aセッションという構成になっていた。当然のようにQ&Aセッションでは「2040年の脱エンジンは絵空事ではないのか?」といった懐疑的な質問が飛んだが、それに対する三部社長の回答は驚くべきものだった。全編は会見の中継動画を観ていただくとして、要点をかいつまんでお伝えすると「バッテリーは原材料の調達もコストの問題も発火リスクの問題もまだクリアできていない」、「(次世代EV用の電池として本命視されている)全固体電池の開発は道半ばである」、「ユーザーにEVを選んでいただくのは非常にハードルが高い」、「既存の集合住宅への充電設備設置は難しい」、「(EVとFCEVは)どの領域をとってもこうすれば上手くいくという方法がいまだ見つかっていない」などなど、まさに僕がこれまで書いてきたような課題をすべて認めるものだったのだ。その上で「いろいろいうと論点がボケてしまいますので、今日はあえてEVとFCEVと申し上げましたが、内部では他の可能性の検討を捨てていません」とも語った。
前半では脱エンジンを高らかに宣言し、後半では脱エンジンが現実的ではない理由を羅列する。同じ人物が語っているとは思えない豹変ぶりである。いったいこれをどう解釈すればいいのか? 前半は本田技研工業の社長としての発言であり、後半はエンジニア(三部社長はエンジン開発出身)としての発言だったと考えるのが最も妥当だろう。経営者としては、脱炭素という世界の潮流に乗っかって企業イメージを向上させるとともにグリーン関連投資を呼び込んで株価も上げたい。そのためには脱エンジンという分かりやすいメッセージを出すのがいいと考えた。しかしその一方で、現実を現実として直視するのがエンジニアの性であり、それが後半のQ&Aセッションでにじみ出た。超一流のエンジニアとして社長にまで上り詰めた三部敏宏という人物の中にある“社長”と“エンジニア”というふたつの異なる立場が、前半と後半で真逆のメッセージを伝えるという摩訶不思議な会見につながったのではないだろうか。
そう考えると、社長という立場の難しさを改めて感じざるを得ないわけだが、それでもやはりエンジニア出身の社長としては現実を踏まえた主張を貫いて欲しかった。案の定、大手マスコミは前半部のエンジン廃止だけを報じ、また明確な根拠もなく“おぼろげながらシルエットが浮かんできた2030年の二酸化炭素46%削減”を決めてしまった小泉進次郎環境大臣も、ホンダの会見後すぐに「ホンダさんも2040年にエンジンを廃止するといってますし」と、会見内容を政府方針の正当化のために使ってきた。
脱エンジンを目指すことに反対するつもりはないが、説得力を伴った明確な工程表がなければそれは宣言ではなく単なる目標でしかない。僕が懸念するのは、政府や企業によるこうした根拠のない目標が互いに連鎖拡大し支配的な空気感となって歯止めが効かなくなり、結果的に日本の産業が弱体化することだ。トヨタ自動車の豊田章男社長はそんな流れを食い止めるべく孤軍奮闘しているが、残念ながらホンダは流れに飲み込まれつつあるように見える。その点、海外勢はしたたかであり、EV推進を強力にアピールしつつ、VWもステランティスもGMもBMWもエンジンを止める時期は明言していない。そういう意味で、今のホンダに必要なのはまさに会見の後半部で垣間見えた三部社長のエンジニアらしい冷静な現状分析だ。F1への挑戦や“CVCCエンジン”による世界初のマスキー法クリアなど、冷静さと卓越したエンジニアリングとチャレンジングスピリットの歯車がきっちりと噛み合った時のホンダは滅法強い。僕が三部社長に期待するのはまさにそこだ。
文/岡崎五朗
岡崎五朗|青山学院大学 理工学部に在学していた時から執筆活動を開始。鋭い分析力を活かし、多くの雑誌やWebサイトなどで活躍中。テレビ神奈川の自動車情報番組『クルマでいこう!』のMCとしてもお馴染みだ。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。
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